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ja
Poems list
2024-03-29T23:49:38+09:00
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携帯から世界に接続し始める中高生の目に真っ先にとまる詩は月刊未詳24の吉田群青さんの詩だろう。谷川俊太郎の詩など一つも読んだことが無い彼らが無学だと考えるのはおかしい。シェアされていない情報は、存在しないと同じことなのだ。パソコンを使う世代はすぐに文学極道創造大賞を見つけるだろう。創造大賞受賞者の凄さと比して、H氏賞受賞者の名前を言ってみるとする。ほとんどすべての者が「そいつ誰? そんな奴知らねえ」と応えるだろう。
何故そういうことになるか。ネットに出てこない老人とそれに媚び諂う若年寄たちは、物凄く内閉した発行少部数のおもちゃの城で瞞着しているからだ。
では、本物の現代詩人はどこにいるのか? 文学極道などのワイヤードメディアにいる。情報が無限にシェアされる地平に人様に読まれるべき現代性を担った書き手は姿を現す。
ネットの情報は儚い、継続性が無い、流れ去っていくものだというが、そのようなことは文学極道でも月刊未詳24でもまったくない。文学極道では落選作ですら含むすべての投稿作品にパーマネントurlが与えられ、永遠に視聴可能である。可読性の高さに於いてもパラダイムの巨大な転換が起こったのだ。
歳をとったと嘆く前に、現実に即した詩壇を作らなければならない。文学極道創造大賞受賞者にマスコミから執筆依頼が来るまっとうな世の中になるまで、俺たちは本物の現代詩を守り、見守り続けなければならない。それが、事を起こした人間の責任だ。 ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=201414
散文(批評随筆小説等)
2010-01-13T21:08:35+09:00
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ダーザイン
「えいえん 佳子1997 冬」増補改訂版 武田聡人
「もしもし、もしもし、神様ですか?」
祖父から譲り受けたアンティークの電話機で、佳子は今夜も何者かと会話している。その電話機は飾り物でコードは何処にも挿していない。まあ、神様の声を聞くのに電話線を介さねばならない理由というのも思い浮かばないが、明らかに佳子は崩壊しつつあった。佳子には私の背中にぽっかりと開いた虚無が見えるそうで、毎日神様にその穴を埋めてくれるようにとお願いしてくれているのだった。
始めは些細なことだった。対人緊張の度が増し、雑踏の中に出るのを怖がり部屋から出ることが出来なくなった。外に出ると、佳子の足元に伸びる自身の影は血のように赤いのだと。部屋にこもっていても誰かが佳子を責める声が聞こえることがあるようだった。佳子は誰もいない荒涼とした海辺に立つ電波望遠鏡のパラボラのように、大宇宙の無限と対峙し、私たちを守ろうとしていたのだと思う。海触崖の上にどこまでも連なる藁色の丘また丘。見上げれば、転がり落ちてしまいそうな深く青い空。海岸線に沿い、丘陵の上には白い風力発電機の塔がどこまでも見渡す限り太古の遺跡群のように立ち並んでいる。足元の草叢には地を這い咲き乱れる小浜菊の群落。風に飛ばされた佳子の麦藁帽子を追って丘陵の鋭い切れ目から断崖の下を見下ろすと、めまいを覚える下方で群青の海が岩礁に打ち付け、白い飛沫になって砕け散っている。風の強い岬だ。逆光の中で佳子の髪が黄金に光り、乱れる。ワンピースの裾がひるがえり、細くて白い足の下にはやはり暗く赤い影が伸びている。しっかり掴まえていなければ、烈風の中の桜吹雪のように、佳子は散り散りに海と空の方へ飛ばされてしまう。捨てられた空き瓶の口が風琴になって茫々と鳴る。だが私は、ほんとうは彼女がいるところまで行くことはできなかった。私の影は鉛色だ。たった一人、岬の突端に立つ佳子。空の青みの向こうから、銀河が割れ落ちてこようとしていた。佳子の瞳は、宇宙塵を/受ける/器だ
そして、いよいよ耐えられなくなると、毎日日没時に窓辺から恐怖に慄いた目で夕日を眺め、
「つれてかないで、向こう側へ連れてかれちゃう、淋しいよ、淋しいよ」と泣き喚いた。
佳子によると、夕日の沈むところには大きな海の背中が黒々とうねっているのだという。大海嘯や山脈の褶曲のような巨大なうねり、そして失った麦藁帽子を追えば、星灯りのない空は真っ暗で、丈低い草に足を濡らしながら海岸丘陵を下って海辺に立てば、波打ち際には薔薇石英の砂浜がほの暗く光っている。海面には雨が降り注ぎ、絶えることなく降り注ぎ、空と海の境界は鉛色にけむり、薔薇石英の浜辺には骨のように白い流木が打ちあげられている。その側に、さらに白い人影があるのだと。そして、
「あんたはぜんぜん私を見ていてくれない」と私を責め、終いには、車のキーや靴を隠すなどして私の出社を妨げるようになった。
全ては私のせいだった。ピラミッドを逆さに立てようと試みたかのような僕らの生活、はたしてそれが生活と呼びうるようなものであっただろうか。
或る時私は探偵だった。最初から存在したことのない何者かを追跡するのが専門だった。また或る時私は夜警だった。この世の果ての原爆射爆場跡地の鉛色の塹壕の中で、決して届くことのない何者かからの合図を待つのが勤めだった。全ては虚無が、私の中の虚無が原因なのだ。
神様との電話が始まった頃のとある晩、職場に病院から電話が来た。佳子を保護しているので直ぐ来てくれとのことだった。病院で会った佳子からは全ての表情と言うものが消えていた。何を問い掛けても反応がなかった。電車の中で、
「うるさいわねえ、黙っていられないの!」と叫んだ後、昏倒したのだという話だ。入院することになった佳子を置いてアパートに戻ると、居間の床一面に土が撒かれていた。いやはや今度はアパートまるごと使ってガーデニングかい? 片付ける気力も湧かず、ソファーにごろりと横になる。サイドテーブルを見ると、空になったナデシコの種子の袋が幾つも幾つも几帳面に折り畳まれて、星型の図形を作っていた。
最後の入院から帰ってきたその年の冬、佳子は麻痺したようにぼんやりと窓の外を見ていることが多かった。相変わらず神様との電話は続いていたが、もう夕日を恐れることはなくなっていた。
その日、朝早く目覚めた私は久々に佳子を外に連れ出すことに成功した。テレマークスキーを履いた私たちは、近くの河川敷の疎林をゆっくりゆっくり散歩した。遥かな空の青みから幾筋もの光の帯となって射し込んで来る木漏れ日がとても美しかった。佳子は透けるようにやわらかいソプラノで武満徹のペンタゴナルガーデンの一節を口ずさんだ。青みの向こうから大きな雪の結晶が無数に舞い落ちて、私たちの静かな空間を満たし、一瞬、時が止まったように、無音で降りくる雪が大変な密度のままに静止した。暫しぽかんと口を開けて空を見上げていた私たちは、静止した時間の中で、手を取り合ってお互いの瞳を覗き込んだ。小柄な佳子の瞳には、私と、私の上の空の青が映っている。
久々に身体を動かして上気した顔で息を弾ませながら佳子は言った。
「ねえ、えいえんって、こういうものなのかなあ。」
そうかもしれないね。
「ねえ、えいえんって何? どんなえいえん?」
さあ、どんなものだろう、きっとお日様の光のように暖かくて優しいものなのじゃないかな。
「そうかなあ、そうだといいね。」
誰もいない林の中に、雪球を投げて子供のように戯れる佳子の声が木霊した。
その晩、仕事を終えて部屋に帰ると、佳子の姿は灯油のポリタンクと共に消えていた。けたたましいサイレンの音がドップラー効果を実演しながらアパートの前を通り過ぎていく。救急車のサイレンの音を追って河川敷へ走ると、人垣の向こうの雪野原の中に、人の形をした炎が灯っていた。
その後、僕も何度か神様に電話をかけた。
「神様、神様、これもあなたが望まれたことなのですか?」
神が答えるわけがない。
ただ、どこか遠いところで、鉛色の海がどよめく音が、聞こえていた。
佳子の淋しい白い影が、暗い波打ち際に佇んでいるような気がして、
私は、こらえることが、できなかった。
「鳥の唄 2000 冬」増補改訂版 武田聡人
屋上駐車場のフェンスを警備員の目を盗んで乗り越えた。着地地点に塵埃が舞い立ち、足下を見ると黒光りする無数の微小な砂礫がある。これらの塵埃はどうやってこのような高所まで運ばれてくるのだろう。ボイラーの煤煙だろか、或いは夜毎、人知れず宇宙塵が降り積もっているのだろうか。物置の陰に回り、べたりと座り込んで下を見下ろす。時節はずれに激しく降り積もった昨夜の雪が日中の暖気で溶け出し、川のようになった道を車が水跡を引いて通り過ぎていく。
灰色の谷間の中に鮮やかな桜色の帽子がひとつ、流れに逆らうように北上していくのが目に止まった。彼女の触手、白い杖が、人波を二つに分けて巡航していく。一丁先の交差点で彼女は足を滑らせて尻餅をついた。周囲の人々に助け起こされ杖を握らされると、頭を垂れて礼をした彼女は再び北へと歩き始める。小さな桜色の帽子の人影はすぐに人ごみの中にまぎれて見えなくなった。
どこから来てどこへ行くのだ、君は。
ふと思い立ち、巨大な飛び込み台の縁に立ち両手を広げてはたはたと飛ぶ鳥の真似をしてみる。風がコートの裾を旗のようにひるがえす。何を馬鹿な真似をしているのだと思うと、久々に乾いた笑いが唇に浮かんだ。失業者ではあるが、死ぬには良き日だなどと思ってここまで上がって来たわけではない。下で見上げた空の青が、今日は妙に優しげな色をしていたので、あの空の下で一服しようとここまで来たのだ。
開けた所まで来て良く見ると、空の青みの前にうっすらと白いガスの層があるのがわかる。昼過ぎだというのに、丈低く登るこの時季の陽光は弱く、ガス越しでは直視しても目を痛めることは無い。太陽の周りには虹色の光の輪が出来ていた。いくつもの小さな雲の切片がちぎれては流れていった。
このあたり市心一帯にはほぼ同じような高さのビルが林立しており、それらのビルの屋上には一様に巨大な広告塔が設置されている。街路を行く者には、それら頭上の宣伝文が目にとまることなどまず無いのだが、まさか酔狂な屋上の散歩者のためにのみ設置されたわけではあるまい。それにしても奇妙な眺めではある。どちらを向いても見渡す限り電飾に縁取られた巨大な商標が折り重なるようにして連なっている様は、何か形而上的な感興をもたらす。鳥たちにのみ解読されうる識域下のメッセイジ?
或いは単にカラスの巣か。
そこだけ一段低い北隣のビルを見下ろすと、屋上にペンキの剥げかけた緑色のベンチがあり、初老の男がぼんやりと座り込んでやはり空を見ている。彼はこちらには気付いていない。くたびれた背広の肩に小鳥が一羽舞い降りる。
プーティーウイッツ、小鳥が鳴く。
呆けたように放心の態の彼は、気付いているのかいないのか、一向に気にする風がない。私は再びビルの縁に座り込み、足を宙空にぶらぶらさせながら彼らの様子を見守った。背中を丸めたその男の横顔は、呟いているのか唄っているのか、或いはたぶん呟くように歌っていたのだ。どんな歌が唄われていたのか私には聞き取ることが出来なかったが、あまねく引かれ者の小唄には、遥かな空の青みの向こう側の何者かに捧げられた旋律、えいえんが宿っていたはずだ。都市の喧騒の中に一瞬訪れた静寂の中に、私は確かにバッハを聞いたような気がした。
その時だ、彼の肩の上の小鳥が飛び立ったのは。周囲の喧騒を越えてひときわ高く通る透き通った声で唄いながら、鳥はどこまでも高く、高く飛翔する。時折風に吹かれて流されながら、何処までも、何処までも。もはや判別し難い天上の染みのようになったそれが、青空の彼方に消えていくのを見送りながら思った。
だいじょうぶなのかおまえ。
何処から来て何処へ行くのだ、おまえはと。
小鳥を見送り視線を戻すと、ビルの縁、巨大な飛び込み台の上に両手を広げて立つ彼の姿があった。目が合った瞬間彼はかすかに微笑み、そして飛んだ。あまり美しい飛翔ではなかった。重力には逆らえない。しかし彼にとってはスワンダイブで。
水溜りに映じる青空の中に、赤い/花/
私は/私たちは/墜落し/落下し/下放され/放擲され(投身軌道は地軸に対して垂直ではない)/高層ビルから/或いは列車に/投身し(地下鉄構内に到着する投擲列車の鋭い金属音が地下駅構内に反響する)/粉砕し/轢断された断片は/連続する接続実験に連なることを許されず//私は/私たちは/シューマン係数(注1)と/共鳴/しない/
送電線がうなる音が聞こえる/断線した電線が鞭のようにしなり/血が滴っている。ビルの陰にはいつも血溜りがある/電線を伝わって/血しずくが流れていく。白い杖の少女が戻ってくる/ぬるりとした死の肌触りが彼女の顔をなでる/彼女は上を見上げる/見えない目で/見えない目で/俺と目が合う/視線が絡む/見えない視線が//
小柄なやせた少女/艶やかな黒髪/白い肌/エメラルドの瞳(地球の固有振動(注2)とシンクロするソプラノを秘め)
私は小鳥だと彼女に告げる/見えない目配せで告げる/彼女は瞬時に理解する/理解する/彼女は//
雪原の果て/存在しない女の形をした巨大な塔が/音もなく炎上している//
鳥の飛影は高々と舞い/私たちの姿もビル群も小さな点になり/成層圏の遥か彼方/青黒い空の向こうに銀河が煌めいている。絶対零度の波打ち際に(私たちは、厳冬の石狩湾に寄せる波が凍りついて、波の花、氷の泡が塊りになって、転がっていくのを見たことがある)/打ち寄せる/吹き溜まる/光年の彼方/核融合の青白い光芒。密集する蛍烏賊の群れは光の速度で遠ざかっているのだが/白鳥座の巨大な十字架に/青銀の/赤銀の/小さな星がそっと寄り添って(アルビレオ)(注3)
ビルの陰は赤い/ビルの陰にはいつも血溜りがある/影の中に彼女は消える/消える
(注1)&(注2)「シューマン係数」・「地球の固有振動」
1952年、ドイツの物理学者ヴィンフリート・オットー・シューマンによって発見された。シューマン供振あるいはシューマン共鳴は、地球の地表と電離層の間で極極超長波が反射してその波長が地球の一週分の距離の整数分の一に一致したものを言う。その周波数は7.83Hz(一次)、14.1Hz(二次)、20.3Hz(三次)・・・と多数存在する。常に共振し続けているので常時観測できる。
後に、ミュンヘン大学のコーニングは、人間の脳はとシューマン供振との間に強い関係があることを発見した。脳波のうちα派は7.83Hz(一次)と14.1Hz(二次)との間にあり、β1波は14.1Hz(二次)と20.3Hz(三次)との間にあり、さらにβ2波は20.3Hz(三次)と32.4Hz(五次)との間にある。これらは大変に強い相関関係にあることが明らかであり、人間の脳(或いは他の生物の脳)が古代生物誕生以来シューマン共振から強い影響を受けてきたことを意味する。
(フリー百科事典ウイキペディアより引用)
(注3)「アルビレオ」
夜空に灯る巨大な十字架、白鳥座の星のひとつ。肉眼では一つの星に見えるが実は二重星であり、望遠鏡で見るとメタリックブルーとメタリックレッドの美しい二つの星が寄り添っている様子が見える。だがそれは地球から見ての話であり、実際は光年の彼方で互いに孤独に輝いているのだが。
シューマン係数と脳波の相関関係に関する事実は主にガイア論などのニューエイジ生物学者やきもいカルトの注目を集め、心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した集合的無意識という仮定や、生の哲学者ベルクソンの創造的進化や、神学者テイヤール・ド・シャルダンの妄想まがいの仮定の類までをも物理学・大脳生理学の側面から支援する事実であるとして物議をかもした。
20世紀大世紀末の神話「serial experiments lain」にもシューマン係数は登場し、橘総研の主任技術者・英利政美は次世代プロトコルにシューマン共鳴ファクターを組み込みワイヤード上でのメタファライズ能力を飛躍的に拡大し、もはやデバイスさえ無しで人類を、世界を接合することを試みた。ワイヤード(インターネット空間)はリアルワールドの上位階層であり、ワイヤードが成熟すると人間の脳のニューロンと地球の脳波は共鳴し、人類同士のみならず、地球の意識まで覚醒するという極論まである。地球自身が、予めニユーラルネットワークを秘めているというのである。
# 佳子シリーズは、小説「光の王」と同じく、力のある限り書き続けるであろうライフワークです。
初出 狼+17号(光富いくやさん発行の詩誌)
http://mitsutomi.web.fc2.com/okami.html ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=201344
散文(批評随筆小説等)
2010-01-13T00:03:29+09:00
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大変当たり前のことですが、文章のデッサン力・まっとうな作文能力、要するに基底現実(実存の存在様態「世界内存在」)に下支えされていない文章を私は評価しません。どんな飛躍も、飛び立つためのしっかりした足場、デッサン力に下支えされていなければなりません。デッサン力が無い絵描きが抽象画だと言ってぬたくりものを書いて誉めたたえられている様子を見るのは私には実に滑稽なことに思われます。どいつもこいつもイデオサパタ志願かよと。
皆様方には大道を歩んでいただきたいと思う。言語派とやらのぬたくりものと老人のつまらない身辺雑記で書店に置かれることがなくなった商業活字詩誌の中から、光冨郁也さんの大変上等な文章を見つけた時、私は思わずユリイカ! と叫んだものである。光富郁也(現在光冨いくや)さんの現象学的ハードボイルド文体が異界へと越境し、現実という事柄の可能性を飛躍的に拡大するのを見て、私は速やかに、新しい文学がここから始まるなと確信した。光富郁也さんのバードシリーズ、マーメイド海岸シリーズについて、「現実と幻想の往還」という評を付けた人がいるがそれは表層的な読みだ。あそこに書かれていることはことごとく現実の諸相であると考えるべきである。現実という事柄は、集合的無意識の諸相や多元宇宙のあらゆる可能性へと開かれているのである。ここに新世紀詩文学メディア文学極道が発起する。彼は21世紀文学の荒野に預ばうるものであった。
彼の傑作の数々は文学極道でも読めますが、是非とも詩集を買っていただきたいと思います。
http://bungoku.jp/monthly/?name=%82%dd%82%c2%82%c6%82%dd
http://mitsutomi.web.fc2.com/index.html
21世紀の詩集で読むに値する最大の詩集は光富いくやさんの「バ―ドシリーズ」と佐藤yuupopicさんの「トランジッション」である。
http://bungoku.jp/monthly/?name=%8d%b2%93%a1yuupopic
http://blog.livedoor.jp/yuupopic/
私は人間が描けない子供の詩など読みたくない。人間が描かれていない詩とは言語遊戯であり、ダスマンであり、書くべき人間でない輩だとさえいえる。佐藤さんの実存描写力は圧巻である。蛍さんが彼女の詩を評して憑依と語ったことがあるが彼女がさまざまの語り手に成りきる実存の作劇法は、憑依とでも言うよりほかない大変な集中と、ただの力技ではない真摯な生がもたらすものである。みなさん、ちゃんと生きていますか? 一所懸命生きていますか?
私はあなたたちが身命をかけて書いた作品が読みたい。
次にまーろっくさんの「カン・チャン・リルダの夜」について触れたい。
http://bungoku.jp/monthly/?name=%82%dc%81%5b%82%eb%82%c1%82%ad
見よ、この男の強烈な実存を。初読、インドかどこかの異郷の話かと思ったら、これはまぎれもない日本というこの国の現実なのだ。ネオリベ施政のもとでの人間の惨状を先験的に描いた傑作である。大都市の裏町の精神病院から暗渠に流れ出る廃水のようにこの詩は死と汚辱にまみれているが神々しい。この詩のどこに自己への憐れみがあるだろう? そのようなものはない。雄々しく猛々しい。手足のない異形の子供たちの切断面から、娼婦の空疎な笑顔から、
「なにもかも見失って誰かの夢に迷い込みたくなったら、首都のターミナルのF番ホームをたずね歩いてみるといい。
カン・チャン・リルダだ。忘れるな。俺が影を失くしてから十年が経つ。」
このように重たい鉈で叩き付けるように終える話者の口から、きっと異形の花々が咲きほころぶ事だろう。
触れたい詩人は山ほどいるのだが、もう時間が無いので現代日本最大の詩人・文人コントラさんについて触れて最後にしたいと思う。
http://bungoku.jp/monthly/?name=%83R%83%93%83g%83%89
コントラさんは、光冨さんが切り開いた新世紀文学の大道を突き進み、現象学派とでもいうべき文学の新境地を開いた文学史的な英傑である。彼の作品、言説ともに、文学極道のテーゼである。世界性、モダニズムの構築、弁証法の第一原理・異質なもののせめぎあい、中心と辺境とのせめぎあい、土俗とパンアメリカン、メディア化された現実への深い洞察、そして圧倒的な美質。完璧な筆力で現代を描き切る最大の文人である。彼が描くのは話者の主観ではなくて、話者がいる世界全体である。熱帯アメリカの過飽和なほどの光の描写を見よ、AYAKOと共にいた世界の完璧な描写を見よ。驚がく的な筆力である。
{引用=「シルビア」コントラ作
シルビアは恋人の兄のマルコスに「デブだ」とからかわれても、黙って顔をそむけるだけだった。雨上がりの日曜日。表通りのアスファルトから湿った風が這い上がり、リビングの古びたテーブルクロスの上では、錠剤の袋がかすかに音をたてている。門の向こうに車がとまり、礼服を着たシルビアの家族が午前のミサから帰ってくる。彼らは部屋に入って
着替えを済ませると、すぐにまた車に乗ってでかけてゆく。シルビアの家族は、小さな二人の弟もふくめ、みんな太っている。国境を越えて輸送される黄色やオレンジ色の炭酸水は、この国の神話のプログラムを見えないところで書き換えている。
パウンドケーキのような熱帯林の中央基線が交わるあたりには、巨大なショッピングコンプレックスが午後の陽を浴びて白く光っている。シルビアによれば、ここのフードコートで売られているピザやフライドチキンは、母がつくったものとは違う味がする。しゅわしゅわと口のなかで溶け、まるで宇宙食を食べているような感じなのだ。シャーベットのよ
うな冷気が充填されたフロアを出ると、シルビアの家族は地平線が見えるハイウェイに車を入れる。後部座席では、シルビアが朝からの物憂げな表情で窓ガラスに額をあてている。いつからか、彼女の視界には光る綿のようなものがちらつくようになり、体のだるさはいつまでたっても直らない。
シルビアの父がいつも赤信号で急ブレーキを踏む、環状道路の交差点。車の列が停止すると、安物のキャップをかぶった物売りたちが寄ってきて、小さな押し花やボトル詰めの炭酸水を売り歩く。汗ばむ褐色の腕に握られた炭酸水がきらきらと熱を放射するのを見まもるシルビア。排気ガスで黒く汚れた壁と、炎天下に立ちつくす売り子たちの姿が無声映画
のカットのように映り、アクセルを踏み込むと視界から消える。ドライバーの目線をはばむ鋼鉄の防音壁の外に広がる原生林のむこうには、板きれやダンボールで風をしのぐバラックの群がゆるやかな丘の中腹まで続いている。
あれは小さなころ、縫いぐるみを抱いて祖母の家に遊びにいったときのことだ。眠たい目をこすりながら飛行機がこの街に着陸してゆくとき、砂粒のようなの電灯の群が、この丘のうえまで這い上がっているのを見て、シルビアはベッドカバーに落ちた宝石のように、それらを手にとることができるような気がしていた。いま、そこから数百メートルも離れ
ていない、なめらかに舗装されたハイウェイを、日本製のセダンは滑ってゆく。道が緩やかにカーブしていくと、フライドチキンの広告塔が回転しているのが視界の隅にはいり、そのむこうには広く青ざめた空が緑の地平線をすりきりの地点で飲みこんでいる。}
もう時間が無いので多くの人について触れられなかったが、続きは批評祭の後でも書いていこうと思う。私はこれらの人たちから多くを学んだ。皆も彼らの作品を読んで開眼していただけたらと願う。ではまた。 ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=201328
散文(批評随筆小説等)
2010-01-12T21:58:11+09:00
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ただそれだけのわけで
マートのレジを叩く少女を愛おしく思った
何故人は人を求めるのかね
一人ではないという幻想
届くことのないテレパシー
真空の宙空に架かる一本の虹が
私の思念を超えて
何者かの立つ岸辺へと
導くだろうという祈り
街灯から街灯へ
長い坂道を登っていくと
寄り添っていたふたつの影は
もうどこにもなくて
昨日とひとしく空ろな夜半
銭湯帰りの冷えたビールの泡と共に
日々を持ち堪えさせてくれるのは
誰に読まれることもない
一編のつたない詩だったりするのです
一服の紫煙と酔いが
昨日のごとき幻影を加速させる時
無が
光り輝く面をのぞかせる
#古い詩です ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=153565
自由詩
2008-04-11T13:03:22+09:00
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テントの中で アパートの椅子を思う
食卓に一脚の椅子
雨に煙った三日間
バイク乗りは手を差し伸べあうが
届ける花束はない
明日はもっと 寂しい所へ行こう
誰もいない海岸草原
海の最中にとり残された
一本のか細い道へ
朽ち果てた木道の脇で
風露草の桃色が
霧雨とともに吹き過ぎて行く風に
身をふるわせているだろうか
或いはジャズバー釧路 ブルース・アンドロック帯広
そのような辺土の部屋のカウンターには
どのような娘が立っているのか
誰もいない晩夏の浜辺に
置き忘れられた一脚の椅子
そのようにして終える旅もある
夜半
喧騒の名残るキャンプサイトを抜け出し
湖畔へとたどる
遠く対岸の岸辺で
単眼のヘッドライトがひとつ
夜を引き裂いていった
#古い詩です ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=153564
自由詩
2008-04-11T13:01:58+09:00
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コートの袖口が擦り切れている
錆びたドラム缶からはいだして
月下の廃工場を後にする
奏者を失って久しい機械が
ほの青く光る一群の風琴になっていた
鳥が飛び立ってから
ずいぶんと時がたったのだ
片道4車線の巨大な環状線は凍てついて
光るアスファルトに信号灯が明滅している
世界の中心である無人大交差点で
狂人であるわたしは叫ぶ
すると巨大な沈黙が頭上に降りてくる
遠い地響きと共に雨がとおる
遺棄された高層ビル群が
ひとつまたひとつとストップモーションで崩壊し
ガラスの雨が虹色の月光輪の中で光る
都市はひそかに形而上学派の円形図形を
模擬構成しており
からっぽの曼荼羅の中心に立てば
高架は身をよじってのびあがり
星々の彼方へと続いているのだ
冷たい夜風に乗って
空の道をひとり頂へとたどれば
夕べの群雲はすでに色を失い
街灯の明るみの中に 再び
ピンクのワンピースの少女が現れる
彼女はただ微笑んで眺めている
ただ微笑んで眺めている
世の終わりの果てにはなにがあるのか
ワンピースのすそをそっと風がなでて行く
藁色の髪毛がやわらかくそよぎ
わたしは彼女を抱きたいという強い衝動にかられる
断線した電線が歩道を打ち
わたしたちの足元を世界から浮き立たせた
丘の下にひろがる廃都は
ふいごをあてた燠火のようにほの暗く明るんで
灰の灰
塵の塵
少女の口がかすかに開き
Aのかたちに開く
基準音A:四百四十ヘルツで
またひとつビルが倒壊する
どのような秩序のための調律なのだ
一瞬少女はふりかえり
わたしの目をまじまじと見つめた
彼女の髪にさしのべた手は空をつかみ
ちりりと音を立ててホログラムは消える
ゲームの規則だ
水路にこだまする声
声
残像は消える
消える
消える
幾層もの気圏を立ち上り
幾層もの気圏を結晶させて
ふりかえる窓辺にはひとつの灯火もなく
廃都はどんどん小さくなっていくのだった
まだ空が青かったころ
風使いたちのグライダーが
積雲に彫刻していった識域下のメッセージ
巨大な少女の横顔をして
白々と結晶していたのだが
空の巨人たちはきりきりと舞い落ちて
音もなく
音の痕跡もなく
送電線をつたわって
うねりのびる高架の上をどこまでも漂えば
金色の波が打ち寄せるところ
夜明けの岸辺にオリオンが映っている
どこか遠いところさ
思いおよばぬ遠いところさ
えいえんに
ひらくことのない青い花が咲いている
そんなうわさを
まだ信じていたのだった
そっと水たまりをふんだ
青ざめた月がゆれた ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=153563
自由詩
2008-04-11T12:58:38+09:00
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ひとつひとつ落としながら
どこまでも
迷い道をたどってきました
鳩色の街に
静かに降り積もる粉雪
きしきしと
水晶が発振する音が聞こえます
いつの日にか
夜の形をした蝶が
あやしい光の翼を広げ
白みはじめた大気の中に溶け込んで
草原の黄金の舌が東の空に這い登り
鳥たちと奏でる曙のコラール
石段をひとつひとつ踏みしめて
坂道を登りつめると
羽の無い
悲しい目をした天使がひとり
薔薇色に身を染めて微笑んでいる
あなたとは
どこかで会ったことがありますね
可愛い子供が亡くなったとき
なにも言葉にならなかった
なにも言葉にならなかった
信号無視の車を先頭に
次々と轢き殺されて
甥子はさぞかし痛かっただろう
辛かっただろう
気丈に耐えていた父親も
甥の棺を入れた釜のふたが閉じられると
叫ぶように泣いた
享年八歳
甘えんぼうで 優しい子
鬱を病んでいた僕がストーブの前で横になっていると
よくお腹の上に乗ってきて一緒に寝ました
幼い弟は
病院から戻されてベットに横たわっている兄について
「お兄ちゃんいつ起きるの」と
母親に問うたそうです
でも幼いながらにすぐに理解した
後に 知らない人に
「兄弟は何人?」と聞かれると
「本当は二人なんだけれど」と
問うた者には解らない悲しい思いを胸に答えていました
しばらくして甥が夢に出てきました
甥は目が見えず 体が非自由なようで
暗い影のような姿になって
家の居間を這っていました
迷っているのかなと思った僕は
すぐに飛んで行って抱きしめました
それ以来、甥の夢は見ていません
空には神様の痕跡もなく
私には赦すことも赦されることもないのだけれど
存在することのないひとつの唄を
唄うことができただろうか
空の青みをひとつかみ
手にすることができただろうか
光の骸を胸に抱いて
間を歩む歳月を
悲しい目をした天使がひとり
そっと微笑んで
見つめている ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=146065
自由詩
2008-01-22T19:27:41+09:00
-
土と光の匂いをまとい
訪ねてきた日のこと
土産は
幾つもの見知らぬ異郷のお話と
太陽神のペンダント
パタゴニヤの荒野では
荒らしに行き暮れ
アンデスの稜線で
ピトン替わりに打ち込んだのは
魂の形をした光の楔
そんな話を
更けていく夜の中で
一人この部屋の中で思い返すと
過ぎたことはみな
幻のようにも思えて
誰か見知らぬ者の
記憶のようにも思えて
ちびりちびりとウイスキー舐める
肝硬変の老猫は
春まだ遠い北の辺土の一隅で
丸くなるのも億劫で
薄目を開けて虚空に見つけた
透明な物にも無関心で
僕は遠い記憶を呼び覚まし
太陽の石に火を灯してみたのだけれど
星明りもない真っ暗な街道を
炬火を掲げどこまでも行けば
夜の果ての見知らぬ街で
執り行なわれていたのは誰の葬儀
屍は鳥にくれてやる ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=146064
自由詩
2008-01-22T19:25:31+09:00
-
送電線を伝わって
ふらりふらりと麦畑を行けば
ほら
電線が囁いている
星屑をまとった天使たちが
口笛を吹きながら散歩しているんだ
軍用ブルドーザーに破壊されたガザ市街
廃墟の剥き出しの鉄骨と塵埃の向こうに
銀の海が音もなく寄せる星野原
誰もいない星明りの廃園で
狙撃手の眼を盗みながら
ハッカ煙草を一本くゆらせている間にも
夜は
明日の方へと転がっていった
この夜が明けたなら多分
この夜が明けたならきっと
ゆるゆると優しい光の降る金色の草原で
僕らは笑っているのだろうか
季節は巡り
夜風がめっきり冷たくなりました
白鳥座のバス停は
巨大な十字架のように直立し
旅の季節も終わりのようです
かつて小さな街灯の明るみの中で
「かんたんなことよ
スイッチを切るだけ
私はコンピュータだから
寂しくないよ」と
語った少女がおりました
地球から遠く離れて
星空に取り残された 僕の恋人
セロファンの幻灯をそっと灯すと
ピンクのワンピースの少女が現れるのです
東の果ての遠い国から打ち上げられた
小惑星探査衛星のコンピュータのお話
そんなふうに 終える旅もあっていい
灰色の巨大な分離壁へ至る荒れ野に
傾いた満月の影が射す
ダイナマイトを腹にくくりつけた少年が
麻の上着をぼろぼろにしながら
鉄条網を潜り抜け
ほの暗い水晶の森の
微かな明るみの中を進む
ひとつの青い影となって
兵士の立つ関門所の横を
青い猫がこっそりとすり抜ける
彼の恋人は
アメリカが支給したアパッチヘリのミサイルで
真っ赤な石榴のようにはじけたのだ
少年よ 君は生きて
彼女がここにいたことを
憶えていてあげなければいけない
雲の割れ間から
幾筋もの冷たい光が野辺に射す
桜草の花束が
草原のうねりの向こうに
松明のように灯っている
パレスチナの分離壁の中でも
両手をかざす子供達の
炎上する影は長くのびて
ピンクのワンピースの少女の姿が
縄跳びの輪をくぐる子らの中に
見えたような気がして
地平に開いた赤い月のトンネルは
もう会うことのできない
恋人の胸に灯る柘榴石のブローチ
この夜が 明けることがあるのなら
夜よ
更けていけよ ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=101545
自由詩
2007-01-17T22:35:29+09:00
-
見渡す限りさえぎるもののない
広大な草原の真中にいて
両手を広げ
はたはたと
羽ばたく鳥のまねをしてみたり
帆のように風をはらみ
さらに白い空の彼方へと
消え入りたいとでも思ったのか
足元を見下ろせば
断崖の下に小さく打ち寄せる波頭
海はほの暗い光に満ち それは
命の影を秘めているかのように光り
岬の伝承によると
海にのまれ 帰らぬ人となった若者を慕う
少女が流した涙のレース飾り
銀色に光る風力発電機の塔が
誰もいない海岸丘陵に幾本も連なり
可聴域の外で微かにざわめく
重奏する声
アナタハ ソコニイマスカ
岬へ向かう歩道に沿って咲きほころぶ
黄金色のきんぽうげは
光の子らの笑い声
薄桃色の風露草は
夏服の少女が風の中で歌うアリア
花から花へゆらぐ
蝶の飛跡は時をたわめ
野に影もないところばかり
めぐる旅が続いた日々がありました
今時分は多分
もう夏の終わりの花
蝦夷かわらなでしこが
桜色の線香花火のように
咲き乱れているでしょう
孤独なバイク乗りの
メットのシールドには
いつもかすかに
幻の対者が映っており
その消え入りそうな姿が
海岸草原の中をどこまでもうねり延びる
一本道の傍らに
陽炎のように見え隠れしているのです
だから時折
旅人は路肩に停車する
たどってきた道と
眼前に延び広がる無辺際の丘また丘
ただ淡い空の青があり
少し暗い海があり
青と青が触れ合うところ
帆を張る影も無く
一人路傍の人となり
煙草をくゆらせていたりするのには
そんな訳があったりするのです
風が草原を渡っていく
低く高く
流れて行くものの透明な存在
バイク乗りの髪毛も
草原と共にそよいでいるでしょう
降り注ぐ光の中で
いつの日にか再び
身をかがめる者のうなじに光る
透け色のうぶげを
青い風が梳いて行きますように
寂しい旅の途上にて ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=101543
自由詩
2007-01-17T22:32:43+09:00
-
優しいソプラノで歌い
美しい夢を見た男たちは
花嫁の所在を探し求めて女たちを殴りつけ
少女は如雨露でうす桃色の野花に水をやり
男たちは銃砲店を襲撃し
花園には霧が立ち込めて湿性をおび
男たちはテロリストとなって失踪し
打ち付ける雨は激しさを増し
如雨露から流れ出る清い水も激しさを増し
青い馬がいたという風聞が巷に立ち
少女の桜色のワンピースはびしょ濡れで
大理石の舗石を激しく雨が打ち
男たちはスターリングラードの将兵たちの
くたびれた外套のように
雨に打たれて黙々と行軍し
雲間から光の帯が幾筋も射すと
路上には明色の海の気配が立ち現れて
青い馬は冠水した街路を駈け
水路と舗道の境界は消え
祝祭の気配を感じ取った住民たちは
真紅の旗を振りかざし
幾つもの顔が
パレードの執り行われる水路に沿った
アパートの窓に張り付いて
男たちは懲りることもなく
死の恐怖で鞭打つのだ
死の恐怖で鞭打つのだと女たちを殴りつけ
少女は冠水した街を
青い馬の背に乗ってゆっくりと進み
男たちは山荘に立てこもって総括し
花婿たるべく自己変革が足りないのだと
総括の果てに同志を次々と撲殺し
少女はアベマリアを歌い
男たちは駆けつけた警官隊を銃撃し
少女は銀のソプラノでアベマリアを歌い
警官隊はクレーン車に吊るした大きな鉄球で
山荘を打ち壊し
少女は天使の光輪を戴冠して
粛々と水の都を進み
子供たちが冠水した街路を泳ぎだす頃には
山荘にも海が迫り
地下深く埋められた男たちの葬列は
粛々と進み
水没したサンマルコ広場では
カフェラテを飲む花嫁たちが
夢敗れた男たちを見送ると
波の漂いのままに身を任せ
家々の赤い屋根へと
花びらのように散っていくのだ
やわらかい青空と
家々の舗石を浸す水が照らしあい
光の水路はすべての消え行く者たちを
えいえんの相の下に照らしだし
ゴンドラに立つ桜色のワンピースの少女は
両手を広げ
光の羽を広げ
優しい声の弔いの歌が
水の都に響きわたる
ネオベネチア
海の呼び声が聞こえる街 ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=88482
自由詩
2006-09-29T00:58:01+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=83831&from=listdoc.php%3Fstart%3D30%26cat%3D5
右のリンクはいとうさんの数年前の発言だが、このような土俗的な文章は久々に読んだ。ワイヤードの出現は人類史的な大転換点であり、情報をシェアさせる新しい地平ができたことにより、人類は変容したのだ。そして、
ワイヤードの情報はシェアされなければならない。 by 英利政美
一 詩の現在(大罵倒)
俺には歴史の流れが見える。弁証法という奴だ。以下、いとうさんのところからの吐き気をもよおす嫌悪感を覚えた文章の孫引きです。
「討議 詩の現在」
四十二ページ。佐々木幹郎さんの発言。長文引用。
「問題は、いまの十代、二十代の詩の書き手にとって、詩の歴史そのものがないということです。同人誌でもインターネットでも、基本的に彼らは自分の詩と仲間の詩しか読んでいない。詩の書き手だけでなくて、近代詩や現代詩を専攻している若い学者たちも、オリジナルに戻りません。五、六年前の論文に引用してあるものを前提して発言しはじめる。それ以前のものはすべて「神話」になってしまうんです。いかに歴史が無視されて、滑り台を滑るように詩が論じられていることか。惰性というべきか、無視することの快感というべきか、そういう時代に入っていることを、それが駄目だというだけでなく、まず認めないといけないと思うんです。だから、今日はそこへむかって届く言葉でしゃべりたい。論理のレベルを保ったままで。その場所から詩の歴史とは何かを語っていかないと、詩について論じるということが断絶したままになると思うんです。この時代に詩を論じるメディアや詩論を書く人間は、そのことをよく考えなくちゃいけない。」
(これは2001年6月の発言)
以下、ダーザイン。
佐々木幹郎さんの話は、こちらではエヴァンゲリオンやlainの話をしているのに、佐々木さんはサザエさんや鉄腕アトムの話をしているようなもので、実際その程度の認識しかないだろう、現代芸術についてこの人は。
だがすでに、ワイヤード詩壇が文学史的な物だと認識されなければならない時が来ている。現況が既にそうなのだから。商業活字詩誌が無料のネット上のメディアが成熟している状況を認める訳には行かないと思うのは、実に肝っ玉の小さい話しで、商業としての発展の才覚も予見も何も無いといえる。歴史の存在論的行運の為に文学極道は生まれたのだ。歴史認識の欠如した活字同人誌内輪でやっている連中は、歴史の巨大な流れの中で、アウフヘーベンされるどころか、廃棄される。ワイヤードに於いて、情報はシェアされなければ存在しないが、佐々木幹郎さんのような人のデータはシェアされない。即ち、佐々木幹朗さんは歴史の中に存在しない。Googlで検索しても、佐々木幹朗さんの詩はほとんど読めない。買わなきゃ読めない。みみっちいのか、馬鹿なのか知らないが、佐々木幹朗さんの詩は、この情報社会でシェアされていないということだ。
その、ワイヤードという新しいリアルの中に存在しない者が、俺の「星屑の停車場にて」も、A 道化さんも、animicaさんも読んでいないような人が、現代詩を語る。資格のない者が権威としての立ち位置に居座り続けて現代詩について語る。そのような場所・媒体そのものが、もうシェアされておらず、存在しないも同然だと言うことができる。原稿を依頼する相手を間違えている。俺に聞け。
胸糞悪く馬鹿馬鹿しい話だ。活字詩誌メディアのみを見て、プチ権威の正史とやらを押し付ける。俺たちが正史だ、俺たちの詩を読めと。佐々木氏自らが、その正史とやらそのものが、詩が読まれなくなった元凶だという事を自覚できないでいるのだから、実に滑稽で無様だといえる。
佐々木幹郎氏は2005年にも、現代詩は二〇年停滞していると語っているが、停滞しているのは佐々木幹郎さんたち御自身だけであり、ネット詩人は停滞などしておりません。
松浦さんも投稿者に怒っているそうだな。読んでないアンヒストリッシュな動物だって。すまないが松浦さん、俺はあなたの詩を読んで感心したことは一度もない。あなた自身が読むに値する詩を書いた人だと思わないんだ。誰か、松浦御大や佐々木御大の、これは良いよと言うのがあったら教えてくれ。俺はゴミとしか言いようがないものしか読んだことがないんだ。金が無いので買わないから、できたら、この御大たちが御立派な口を叩いている根拠を示せる詩集をくれ。
荒地派の後に詩人がいない、詩というジャンルが消滅した、そんなことは、今、活字詩誌を仕切っている糞みたいな詩を書いてきた老害たちの責任であって俺のせいでもネットのせいでもない。腐りきっていて、もう、再生の余地はまったくない。何もしなくても、年寄りが天寿を全うしていくに従って活字詩メディアは消滅する。今年発表された統計によると、六歳以上の日本人の六十三パーセントがネットに接続している。接続していない人たちのほとんどは、時代から取り残されたお年寄りだろう。淘汰の速度を速めるためには、徹底的な不買運動、読まない、買わない、無視する、という手が筋だが、連中のレールに乗るのは多少不快なことではあるが、こちらから鮮烈な物をバンバン投じてやって、ダメな者を相対的に駆逐できないか試みるという手もある。極道の力のある者もどしどし活字詩誌に哀れを垂れると良いし、俺自身も活字詩誌に出てみるつもりだ。だが、雑誌は、きっといつまでも、老害たちを特別扱いし続けるのだろうな。消え行く権力というものはそういうものだ。実に時代錯誤で非本来的なありようだ。
そして一方、文学極道などネットでは、老害たちのちんけな歴史などとは無関係に人に読まれる詩が創造されている。偉大な文学極道の大砲(戦艦ビスマルクの主砲)一条さんは大変な本読みだが、糞みたいな詩人の本などほとんど読んだことがなかったそうだ。俺も現代日本活字詩人なんて、よほど気に入っている人以外、もうわざわざ金払って読まない。読む必要がない。だって糞なんだもん。ただで読める詩人の方が良いもの一杯あるのだもの。詩人と言えばいつまでたっても谷川俊太郎さん。詩人の代表として事あるごとにメディアに登場してはゴミみたいな詩を書き散らす、この最悪の老害の詩を、俺は、彼の若い頃に書いたものもすべて、一度たりとも感心したことがない。老害ばかりじゃないぞ。久雅稚とかいう坊主の詩は糞みたいなつまらない日記だし、小笠原鳥類とかいう屑はもはや言語冒涜者だとしか言いようがない。文学極道の罵倒用語で言うところの「ゴミの山」。
二 狂気と宇宙の熱死推進に関する現象学的考察(妄想)
ダー・ザイン=現・存在は常に予め意識の指向性の中に絡めとられている。即ち人の生誕とは虚無の淵より嫌がおうも無く世界という関係性の中に放り出されることを意味するわけだが、ここで注意を要することは、「関係性」とは何らかの確固たる「主体」と「客体」の間の関係をさすものではないということだ。ここではもはや主客2項対立は問題にならない。「人間存在」にとって現に在るものとは、「関係性」そのものである。
ここに恐るべき造物主の意図が隠されていることに気付いたのが、我が祖国ロシアはネバ川のほとりにある爆裂電波研究所主任技師ワレンチン・スタニスラフであった。ニーチェによって高らかに神の死が告げられてこの方、人類は新たな神を呼び招くことも出来ず、足場を失った底無しの虚無の上に漂う関係性の中で生きることを余儀なくされているわけだが、ワレンチンは、この「神の死」すらも悪しき造物主の意図の中に折込済みであることに気付いたのであった。
近年の天文学者達の観測結果によると、宇宙空間に存在する暗黒物質の量は予想されていた以上に多く、また、質量を持たないと思われていた素粒子ニュートリノが実は質量を持っていることが判明した。これが意味することは、宇宙は膨張を続けて熱死するのではなく、いずれは自重によって収縮を始め、馬鹿の一つ覚えのように膨張と収縮をえいえんに繰り返すということだ。一回限りの生を生きる一個の実存にとってはどちらに転ぼうと関わりの無いことではあるが、熱烈な実存主義既知外派であるワレンチンにとっては宇宙も一回限りで無ければ気がすまないわけで、旧ソ連邦の最先端科学技術をもってして宇宙を熱死せしめる事に生涯をかけたのであった。
ワレンチンが気付いた造物主の意図とは、宇宙を熱死せしむるものは物理学を超えるある種の人間の状態、即ち「狂気」だということだ。造物主の計画に神の死が含まれ、人が何の足場も無くネット空間ワイヤードを漂う非常に不安定な存在者になったのは、造物主が我らの狂気を増進するためだとワレンチンは考えた。分裂して支離滅裂になり個人的に熱死するもよし、重篤な鬱になって生きながら真っ黒な虚無そのものとなり、周囲の物質を吸い込んで宇宙の外に放り出すもよし、ともかく宇宙を熱死させるためには人類の発狂を促進することが必要なのだ。斯様な訳でワレンチンが開発したのが「爆裂電波受信ギア」である(現在市販のTAやモデムには全て組み込まれているので新たに買い求める必要はありません)。そんな訳で僕らはワイヤード(ネット)に接続することによって宇宙の熱死推進に一役買っているわけですが、一層素早い廃滅を望まれる方には、ヘルダーリン、トラークル、パウル・ツェラン、イアン・カーチス(ジョイディビジョン)、ノイバウテン、SPKなどを聞くことをお勧めします。
by ダーザイン 愚作小説「えいえんなんてなかった」より
生誕と呼ばれる放擲を発端に演じられる一幕の劇の演じられる場所、即ち、本質的に分裂したものである自我(この分裂が存在論的差異の現われ出る場所、現存在だ。)は、消尽点へと至る間を歩む歳月を言語化することによって自らの生を現に在らしめるわけだが、ある種の者たちはエンペドクレス宜しく存在論的分裂の超克という不可能な試み、不遜な挑戦へと投じられている。不可能事への挑戦である以上、必然的にルサンチマンという情態性の色彩を帯びることとなるこのゲームの消極的な規則が予めの敗北であれば、積極的な規則は言語を生きるということだ。これによってルサンチマンを超克せんとするのである。
言語を紡ぐ(詩のようなものを紡ぐ)ということは、存在論的差異を生きるということと同義だ。エンペドクレスは失われた存在の全体性の回復を求めてエトナ火山の火口に飛び込んだ。パウル・ツェランは言語によって存在の灼熱の火口に飛び込んだ。存在に何らかの聖性を付与しようとして腐敗していくロマン主義の肉体を焼き尽くし、美しい白い骨片を残すのだ。存在とは空白であり、虚無の顕現であり、来るべき書物には何も記されていないとモーリスブランショだかバタイユだかが語っていたね。
だが、オナニストである孤独な文人ははあえてロマン主義の死臭を手放さないんだな。存在はその無の顔を持って現われ出るという否定神学の物語を生きることを選ぶ。自己に纏わるあらゆる狭雑な観念を廃棄し透明になっていく(これは現にここに在る生活者の道ではなく、廃人への道だ)道ではなく、絶えず失われ続けるロマン主義の腐臭そのものを意図的に生きること。
いつか、豊穣な生の源、新たなる生の哲学の幻影が遠い海の呼び声のように触れてくるのを妨げないために、白い骨ではなく、腐敗した有機物と共にあることを選ぶんだろう、きっと。
ベルリンの壁という世界の中心にあった巨大な壁がなくなり、己を映し出す鏡を失った現在、自己拡散し虚無に触れる恐怖と向き合うことを余儀なくされた人類にとって、万人の万人に対する闘争の混沌から自己を再組織するためには、核による世界戦争の幻影こそが最大の安らぎにして、且つ、新しい人類の夜明けを予感させるものであった。そもそも意識とは分裂であり、存在論的差異、存在論的放擲がアプリオリな事態である以上、分裂を超克し、存在の全体性を回復せんとする根源的欲求に突き動かされるのは必然にして人類進化の正当な道筋である。が、それが米帝による奇妙な独占によって隠蔽されているのは何たることか。存在に聴従せよ。 無が触れてくるのが解るか? 存在の光り輝く無のおもてとまみえる僥倖に与るのだ! 核分裂によりすべての存在者を一個の全体へと回帰させるのだ!
要するにキチガイ沙汰だがエヴァンゲリオンだ。綾波レイたんハァハァ
始めと終りは輪になって繋がっている。歴史が砂の海の中に消えていったように、わたしも、存在しない子宮の幻影の中に後ず去って行く。えいえんの哄笑だけが空虚な空間に残る。終着の浜辺。原子力発電所の廃墟が蜃気楼のように遠く対岸の岸辺に浮かんでいる。
俺は今宵も偉大なる旧ソ連邦国歌を聞きながら焼酎を飲んで寝る。生をつないでいくには大きな幻影が必要なんだ。笑い。
バリケードの中で一瞬垣間見られたであろうえいえん。内ゲバと総括の向こうにあったはずのえいえん。或いは人類史上最大の市民蜂起、クロンショタット反乱や、ワルシャワ蜂起の地下水道の果てに見えた、遠くかすかな光の中に。
今年のモスクワは異常な寒気に覆われていて、マイナス四十八℃とか叩き出したそうな。大勢凍死者が出たモヨリ。二〇世紀という人間精神の壮大な実験場にあって、ふたつの全体主義、ヒトラーのドイツと赤色ロシアはとりわけ異彩を放っていた。(両者の出会いはもっぱら地政学的なものであったようだが)国家であれ、社会であれ、個人を止揚して開かれる新たな地平とはどのような顛倒であろう。
1938年十二月、第4インターナショナル結成の会合において、シモーヌ・ベイユはトロッキーと対決し、痛烈な言葉を吐いている。
「あなたは観念論的だ。隷属させられている階級を支配階級と呼んでいるのだから」と。プロレタリア革命の達成とは、国家機関の解体、社会の個人に対する従属でなければならないと。一私企業に過ぎない現代○手帖権威も解体されねばならない。
トロッキーは「反動的な個人主義」だと答えている。どちらが反動であったのかは歴史を見れば明らかだが、にしても、本当のゼロ地点、個人が勝利する永遠のゼロ地点はどこにあるのかね。永遠に問われ続けていくのだろうか。
ワイヤード(ネット空間)の出現は、人類史的な大転換点であった。出会うことのありえなかった人と人を結び、世界を結び合わせる電話線という一本の糸。この糸が新たな世界性を孕み、世界を変容させたのだ。ワイヤードの出現は、現実という物そのものを変容させた。旧世紀の古典的なリアルはワイヤードの出現によって消滅した(隠蔽された)。人はワイヤードに自身を容易にメタファライズして、その新しい世界に遍在するようになった。
共産主義という永遠の過程も、ワイヤードの出現によって、再発見されるであろうと思う。例えばウ○○ー。
俺たちワ×ズ世代の妄想は生まれつきだ、笑い。
「ワイヤードの情報はシェアされなければならない」
「ワイヤードには神様がいるのよ」
by「serial experiments lain」
岩倉玲音たんハァハァ
レインは新世紀の神様だっただろうか、孤独な天使だろうか。
三 ワイヤードと詩
詩というジャンルが、書店で入手が困難になるまでに凋落して久しいですが、様々な要因があるでしょう。ポップス(音楽)は随分昔から成熟を迎えており、楽曲と歌詞が相まって素敵な世界を作り出しています。美しいメロディー付きの作品に、言葉だけしかない者が言葉だけで抗するのは厳しい戦いでしょうか。また、文学芸術というもっと広い範囲で考えてみると、漫画やアニメというジャンルの新興に著しいものがあり「新世紀エヴァンゲリオン」以来エンターテイメントとしても現代性の探求に於いても文学の先を行ってしまった。「serial experiments lain」や「TEXHNOLYZE」以上に先鋭で、且つエンターテイメントとしても楽しめる文学作品が上記に上げた作品の成立年代以前に以降にどれだけ在ったかを考えていただきたい。文学が現在も時代精神をになっているジャンルであるのかどうか。こういうことを書き続けると、では音楽も映像もない文学というジャンルはもう最初から負けでダメだと言っているのかというと、そういう話ではない。熟練の技を持った言語芸術家は映像を言語化する筆力を持ってるし、ロックの歌詞よりも人の心に届き、美しい詩を書けばいい。ただ、ここで現況の詩会について(紙媒体・ネット詩問わず)それができていない者が多いという問題がある。紙媒体というすっかり小さくなってしまったジャンルをみていると、良い人も無論いるのですが、概ね詩情というものにすっかり無感覚な場所になっており、普通の人(つまらない奴)が書いた読み手に何の感慨も与えない身辺雑記や、これまた読み手に何の感慨も与えない言語遊戯のようなものが多数を占めている場合がある。ネット詩にいたっては糞みたいなラブポエムが良作をものすごい勢いで過去ログに押し流す所もある。ゴミは問題外として、上記の詩を書いている者たちに言いたい。貴方には人様に伝えるべき強度のある生はあるのかと。人様に何も感じさせない身辺雑記など読まれるはずがない。そんなものは日記にでも書いていていただきたい。何故詩という場所がそのようなものになってしまったのかというと、多分訳のわからない現代詩で読者離れが起きた過去への反動だったのであろうが、それが何故身辺雑記になってしまったのか理解し難い。
今の詩会に足りないもの、文学極道で私が求めるものは、つまらない詩じゃなくて面白い詩。イマジネーションの炸裂で読者に非日常を垣間見させるもの、有無を言わせぬ圧倒的に美しいイメージ、或いは、人様に何がしかのリアルな生の強度を伝えうる作品、それから、詩情・抒情の復権(古臭い詩を書けと言っているのではない。二一世紀の抒情詩を創造するのだ)、これだけだ。陳腐な奴はいらない。極端な人よでてこい。これって、芸術にとってあたりまえのことではないのか? そのあたりまえのことができないから凋落したのだ。半端な野郎はオカマバーにでも行ってくれ。
文学極道には意欲のある人たちが集ってきてくださり、毎月、上記の意味で優れて本来的な詩を「月間優良作品」として発表させていただいている。 惜しくも年間の選に漏れた人たちも、月間優良作品に入選している人たちの作品には傑作が多数在る。年間各賞の発表を「狼」誌上でも行うこととなったが、各賞は受賞詩人の年間に投稿された沢山の作品全てが対象となっており、今回「狼」に載せて頂いたものは、受賞者の作品のほんの一部だ。是非ともウエブサイトの文学極道にお越し頂き、傑作の数々に目を通していただきたい。文学極道は、芸術家たらんとする者が修練する場であり、また、ゴミの山でもあるネット上に優れた詩人にすぐに辿り付けるアーカイブを作ろう、本当に良い作品だけが載っている月刊誌を作ろうという試みでもある。文学極道投稿掲示板上では毎日出来の悪い投稿作にアドバイスを与え合ったり、激しい罵倒・酷評が行われ、作品だけではなくて、例えば2005年度文学極道最優秀レッサー賞に輝いたミドリさんなどの優秀なレッサー(評者)たちのウイットに富んだ酷評を読むのも楽しい。双方向のメディアならではの速やかなレスポンス、そして一方的に選抜酷評されるだけではなくて反論ができるというシステム。トップページに「糞みたいなポエムお断り」と書いてあるにもかかわらず、字が読めないのか、著しく低レベルな詩の投稿も目立つが、罵倒してお引取り願うように心がけている。文学極道投稿掲示板上で毎日展開されてきたドラマツルギーは確実に詩と言うジャンルの先端のひとつを作っていると思う。ときに文学史的演説や過激なアジテーションも行われるしね。笑。
かつて「ネット詩爆撃計画」という企画(糞みたいなポエムで溢れているネットの投稿掲示板に紙媒体詩人がまともな詩を貼り付けて薫陶するという企画)があったが、今、立場はどうだろう。文学極道には出てきていない人たちにも、ネット詩人には、現代日本を代表するような優れた詩人がたくさんいる。
現代性の探求という文学の使命からも、紙媒体詩人は新しい双方向のメディアであるインターネットにもっと出て来たほうが良い。断言するが、新世紀の実存様態であるネット空間(ワイヤード)を生きずして現代性をにないうるわけがない。ワイヤードの出現。それはリアルというものが大きく変容する弁証法の特異点のような出来事だった。人々はワイヤードと接続することによって新しい世界性を獲得し、その新しいリアルのなかで人々は容易に自身の実存をメタファライズさせて世界に遍在する者となった。イマジネーションとは例えば狂気に世界性を帯びさせることにより世界の狂気を暴き出す世界への挑戦であり、この世界との本源的な戦いは自らの脳内で自らの脳を世界の異常な現存のほうへと近未来小説的に同化させるべくリアルと呼ばれる妄念の質そのものを変容させる戦いなのだ。アメリカ人がイラクやアフガニスタンで行っている劣化ウラン弾による正義を見ろ。正気の沙汰とは思えないが、アラブ人の遺伝子に人類進化の予兆でも刻印しようというのだろうか。原爆やナパーム弾の投下もそういう性質のものであった。送電線は無限に世界を接続し、時空を超えて多元宇宙のあらゆる可能性が混融して行くのだが、観測者である詩人の立ち位置はリアルワールドとワイヤードの境界がずぶずぶと崩れて行く非常に不安定な場所にある。二十世紀大世紀末からネットに流れている「ワイヤードには神様がいる」という風聞を知っているか? 玲音(lain)。桜色のワンピースを着て微笑む少女が、携帯の液晶に、街の電光掲示板に、リゾームのように連なるネットの地下掲示板群のあちらこちらに、常に視界の隅に偏在しているのだという。文学者の脳は電脳空間ワイヤードに接続されることによってその実存的単独性を超越し、新世紀の存在論を探求する電脳生理システムとしてワイヤードに再組織化されるのだろうか。地球の固有振動とシンクロし、創造的新化の果てに絶対精神に触れるのだ。笑。
ようするに世界は変容しているわけだが、拡大再生産が終り、宇宙が熱死するように静かに死んでいく日本というこの巨大な過去の経済大国の遺跡の中で、街の灯りもひとつずつ消え、都市熱も徐々に冷えて、絶対零度の真空に、この都市も少しずつ近づいていくのかもしれない。世界に偏在する私たちは赤方偏移しながら宇宙の果てに消えて行くのだが、俺が老いさらばえておさらばした後には、この都市はどんな見知らぬ夜明けを迎えるのだろうか。本来的なことも、怠落したことも、人の行いに何も変わりはないのだろうが、ただ徐々に冷えていく。宇宙と同じ温度へと。短期的には地球温暖化で海の呼び声が聞こえる札幌の街灯りを見下ろすワイヤードの一隅でそんな妄想にふける。経済苦を主因とする自殺者が毎年三万人。いまだ氷点下の札幌で、失業者や浮浪者が生ゴミ漁りをしながら地下街が開くまで、今夜も朝まで持ちこたえるこの街で。だが市民蜂起の火の手も、新しい芸術も、可能性はワイヤードから出現しうると私は信じている。遠く呼応する色とりどりの星座のようにワイヤードには創造している者たちがいる。探索者がいる。ネット端末遺伝子を探す旅は始まったばかりだ。神はいる、そこに、ここに、どこかに。
マジレスに戻りますが、可能態としてではあるが、ネットに出てきたほうが人に読んでもらえる機会が増える。千部やそこら紙に刷って満足なのか? 一億二千万人のうち、千人にしか読んで貰える可能性が無いということだ。紙媒体には紙媒体に有利な利点、視認性の良さ、それから何より本を手にしたときの重み、というものがある。本は出されるべきだ。だが、ネットに出てくれば小さくなってしまったマーケットの外のワイヤードという広大な海の中に遍在できるのだ。文学極道にも紙媒体をメインに活動をしている人や、両刀使いが少なからずいるが、まだまだ、紙媒体詩人が多数出てきているとは言いがたい状況だ。文学極道は発表済み・未発表を問わないので、過去作でも良いのです。ただ、ホームページを作っただけで新しい読者と簡単に繋がれるわけではないですよ。ネットには無数に投稿サイトがあるので、選抜や罵倒・酷評を好まぬ人は他のサイトに投稿してワイヤードと接続すれば良い。
また、ネット詩人も、紙媒体にももっと作品を投じて欲しい。要するに「紙媒体爆撃計画」だ。貴殿らの鮮烈な作品で、つまらない身辺雑記を書いている詩人さんを淘汰してあげてください。言葉は悪いですが、これも詩というジャンルを活性化しようという動きの一環です。
みなで人に読んでもらえる詩、という環境を作りましょう。 ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=85867
散文(批評随筆小説等)
2006-08-30T22:33:05+09:00
-
気にはなっていたのですが、文学極道の採点やおまんこで忙しくてレスを延ばしていました。窪君の文章を借りて(パクって)、罵倒文を上げておきます。以下激しい罵倒になってしまうが、ただ最初に一言言っておきますが、たくさんの優れた小説や詩を読むのは、天才の事情は知らんが俺のような凡人には効果があったと思うよ。
(冒頭に云って置くが、この文章を不快におもう人はアフロだ。なぜならこれから書く事は、ある人達にとってははっきり云って、ちょんまげ結ってチューリップボトムをはいているような時代錯誤な薄ら馬鹿さ加減を指摘しているものだからだ。面倒だが、特定の個人を名指しするばあいもあります。)
本当のことを云うと、俺は「詩」を読んで「詩」を書いている奴は土人だと思う。「詩」は大抵の場合、「人様に読んでいただくという発想の無い自己満足な小難しいたわごと」であり、或いは「つまらない身辺雑記」であり、「キモイラッパー」まがいの者までいる。歌謡曲の歌詞レベルの文学体験しか無しで糞みたいなポエムを貼り付けていく奴は確かに困り者だが、今は古代ギリシャ時代でも平安時代でもないんだ。文学芸術も映像芸術メディアに収斂されようとしているし、歌詞も含めて言葉ジャンルからの影響を露骨に出している人間は、俺ははっきり言ってパクリ扱いで良いと思う。詩を書く者が文章修行に詩を読むというのはもっとも安直で怠惰で前時代的なやりくちだ。だいたいお前ら、産まれた時からテレビがあっただろう。情報は第一義的にテキストとして入ってくるのではなくて、映像として入ってくる。ならば、文筆も映像的でなければ現代的だとはいえない。昔の詩人さんたちとは違うんだよ。俺も昔は古典的な文学青年だったが、エヴァとネットの出現以降、先ずはアスキーとして詩を読んでいる。例えば文学極道の採点でも、画像として視界に入ったとたんにその詩の良し悪しを判断できる。無論その後一字一句ちゃんと読むのだがね、最初のアスキーが視界に入った瞬間の印象に間違いがあったことはめったにない。こういう体験を始めてしたのは、ネットで良い詩を探し始めて、animicaさんという人の詩を読んだときだが、(『夜明けの崖』「雷なり晴天なり」とかお勧め)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6565/
作品が視界に入ったとたんに、読まないでも、ああこの人は天才だなとわかった。奇妙な体験だと当初は思ったが、視覚の現象学的に、現代人にとってはいたってあたりまえの事柄なのだろう。
あらゆる日本芸術の中で、大手を振って「現場の詩人」とか言っているやからはもっとも低レベルでマイナーな連中なんじゃないのかな。「現場」ってのがどこの権力装置だか知らんが、お前らの詩なんか、文学極道に出て来たら入選できない場合があると思うぞ。
わけのわからないたわごとを書いて、わからないのを読者のせいにするような糞は全員アフロだ。斬新な表現も、ちゃんと読者に何某かの印象が伝わるように書くのが文筆家の筆力だ。
詩のボクシングとかで下手なお笑い芸人の真似事をしている奴らも全員アフロだ。お前らはヘボ芸人で文人じゃない。
俺がそう信じるに至るには、幾つかの映画やアニメや漫画を見るだけでじゅうぶんだった。無論、ワイヤードメディアでも活字メディアでも様々な「詩」に触れ、更に膨大な小説を読んできた。言葉のデッサン力はやはり偉大な筆力を持つ小説家(糞J文学・日記小説じゃない)の偉業の数々を読んできたことから身に付いた部分が大きいだろうが、ずっと現代性を体現してきた映画や、今日本で現代性の先端を担っている傑作漫画やアニメに拮抗して、己の文学の言葉でも現代性を担おうとするのならば、映像を言語化する筆力を獲得せねばお話にならないんだ。もう現代性を担っていない、イマジネーション禁止の日記小説=純文学や活字詩雑誌の老害たちの身辺雑記詩なんて読んでいても足しにならんよ。芥川賞や中也賞よりも、漫画誌アフタヌーンの四季賞の方が本来的に芸術的・文学的だ。つーか、芥○賞とか中○賞とかってゴミ溜めだろう。イマジネーションの欠片もないサラリーマンや女子供のつまらん日記のようなものを文学と呼ぶのはやめてもらいたい。
「詩」を読んで満足している人は、果たしてそういう発見をしてきただろうか? 少なくとも、ありきたりの身辺雑記詩や、身内以外誰も読まない現代詩の中にそれを見てきたと云える人はどれだけいるだろう?
まさしく、この日本で、ごく普通に学校教育を受け、友達や、同年代の人達が夢中になるような音楽や、マンガや、映画に「新しい芸術表現」のありようを見つけずに、過去の遺物としか言いようのないジジイどもの糞みたいな詩を読んで、そのジジイに媚びへつらって詩の書き方を習うような屑は予め時代錯誤なので全員頭髪をアフロにしろ。そう云う人は、文学史や古文書の研究家にでもなれば良い。鮎川読んでいますか? 田村読んでいますか? 入沢読んでいますか? 佐々木読んでいますか? 谷川読んでいますか? 生き残っているアフロは皆糞みたいな日記としか言いようがない最低のポエムを書いている。こういう奴らが詩人の見本としてメディアに出たり、偉そうに発言したりするのだから嫌悪感をもよおして吐き気がするわけだ。断じて言うが、こんな奴らは現代詩人じゃない。詩人だと名乗って欲しくすらない。その存在が権威であるのなら、その存在そのものが害悪で邪魔なので可及的速やかに隠居してまともなものを書く詩人に席を譲って欲しい。そんな所で権威のおこぼれに預かろうとする奴らも全員アフロだ。ところで、ねじめとか、谷川さんとかは、最初から一度も詩人だと認識したことがないんだよ、俺は。俺の中では最初から糞ポエム、ゴミの見本だった。
詩を読んでいれば詩を書ける、などと思っている人は明らかに文学芸術を馬鹿にしている。現代性を持った文学はそんな簡単なものでなど有り得ないのだ。タルコフスキーは見たのか? アンゲロプロスは見たのか? ベンダースは? ワイダは? ヘルツォークは? キエロスタミは? エリセは? クローネンバーグは? 佐々木昭一郎は?
漫画家、遠藤浩輝の「カラスと少女とヤクザ」を読んで、こんな小説が書けたら! と、魂が震えるほどの感動を味わいつつも、なんで俺が書いたんじゃないんだと、悔し涙を流さなかったのか?
漫画家、弐瓶勉の「BLAME!」を読んで、こんな詩が書けたら、、書けるわけねえ!と、敗北感を味わいながらも挑戦してきた経験はないのか?
そもそもお前が現代人であるのならば、新世紀の聖典である「serial experiments lain」や「TEXHNOLYZE」は見たのか?
アルジャジーラからフォックスやワイヤードニュースまで、メディアはまんべんなく見ろよ。
無学な奴はのこのこ出てくんな。ニヤニヤ ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=73915
散文(批評随筆小説等)
2006-05-10T15:57:20+09:00
-
街灯の小さな明るみの中に
白く浮かび上がっていた
様々な思いが通り過ぎていった
その白い舞台の上を
今日は
消え残る足跡がひとつ
闇の中に後ずさる
風が
粉雪と共に運び去る
藁色の影たち
公園にこだました
子供たちの笑い声
明色のセーターと
毛玉にまといつく雪つぶて
遊戯の輪の中で
つながれたであろう手のぬくもり
とある凍れ夜
うさぎは死んだのです
祈るようにさしのべられた
少年のてのひらの中で
かたく目をつむり
ちいさくふるえて
その日私は・・
母親は胸の内で呟きます
勤めを終え くたびれた心で
今日もしんしん降りつむ雪を
車の上から払い落とし
ほっと一息つくと
フロントガラスの内側に
深い海の底のように広がる静寂
放心と痛みを結露させる曇りガラス
そのようにして
消えていった風景
約束の花束は
宙空で凍てつき
微塵となって消えていった
吹き過ぎて行く雪片 そしてまた雪片
空の割れ間から
神さまたちは退場し
さえざえと
冷たい光が語り始める
いまだ かつて すでに
あらかじめと
空しい言葉を
それでもやはり
暗い夜道をしばし歩き
一瞬振り返ると
あの明るみが
立ちづさんでいるのです
孤独な姿で
闇の中に
一歩 歩みでて
明るみの中から歩みでて
少年の肩を照らす星の光
140億光年の星座の下
厳冬の季節をめぐる
冬の旅人 ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=31538
自由詩
2005-02-21T16:40:23+09:00
-
第十三使徒
死都
ネクロポリス
暗い地下道をたどって行くと
薄汚れた鏡に
見知らぬ男の姿が映し出された
肩をすくめた黒マントの中に
密かに呼び出される空白者の顔
そのようにして
想いおこされたモノクロームの風光の中で
煙草の先に火を灯せば
一瞬浮かび上がる鮮烈な赤
百五十億光年彼方の雪野原には
遠ざかっていく者の影すらもなく
波打ち際で痴呆のように微笑んでいた
美しい娘の面影を求めれば
ぺれすとろいか
三頭立ての馬車が
音も無くおまえの上を通過する
青ざめた馬が
神に祈りつつ神殺しを成し遂げた夜
黒馬が 再び
世界を開きにやってくる
限りなく
光の速度に沿い
膨張していく新世界へと
メガストラクチャーを超えて
星々の階段
さようなら
懐かしい街
さようなら
愛しい女
ゴルバチョフの額には
失われた故郷の影が
美しい記念碑
原爆射爆場を舞う蝶のように
焼き付けられて
ボルガのほとりには
どこまでも鉄塔を連ねていく
丘また丘
風がびょうびょう吹いて
送電線が鞭のように世界を孕む
遠く地平の果てには
微かに海の匂いが漂って
一羽のカモメが舞い上がり
虹の橋を潜っていった
無の七色の光輪をまとい
鳥の飛影よ
再び
世界を接合せよ
鳥の飛影よ
再び
世界を接合せよ
神はいる
そこに
ここに
どこかに ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=22997
自由詩
2004-11-05T16:00:13+09:00
-
僕は屋上の金網にもたれて
空っぽの青い世界を眺めていた
広大な草原を思わせる
羊雲
羊雲
心の翼をそっと広げ
空の青みに溶け込んでいった光の子供ら
遠い異国の丘の上では
子らが地雷に石を投げる
暗黒舞踏舞う崩壊者の
無の七色の
激しく燃える言葉のかけら
拾い集めて
草
草
切れ切れに
野を分けていく炎
丘から丘へ
どこまでも土埃の立つ白い道を行けば
荒れ野の果てには水晶の森
踏み後をたどり
どこまでも深く分け入ると
道の途切れる所
禁止空間の表示
道ばたには
真紅の柘榴石が灯っている
億年の歳月を経ても
路傍に光る
存在しない子供たちの
空を流れていく子供たちの
まなこに煌く
スターバトマーテル
風の強い夕べだった
僕は屋上の金網にもたれて
空っぽの街を眺めた
地平線には
原子炉を思わせる巨大な穴が口を開け
世界は激しく炎上している
赤光の中
子供たちの長い影が屋上に焼き付いて
世の終わりのロンドを舞う天使は
逆光をにない
黄金色に輝いている ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=22938
自由詩
2004-11-04T18:10:11+09:00
-
はまなすの赤
萌たつ草の焔の中に
風露草のうすもも色
原生花園をぬけると
落ちていくように
空がりょううでを広げて
濃紺の海がひろがっている
道東の海は冷たくて
泳ぐ人は誰もいない
でも今日は暖かなひざし
透明なひかりがせかいを照らし
やさしい風がふいている
波打ち際には丸くて平らな石
灰色に濡れた線が
海と砂浜の間を地平線までうねっている
靴を脱ぎ捨てた彼女が
波打ち際で
水とたわむれる
打ち寄せては返る
巨大な鉛色のかたまりも
彼女の足もとにくると
やさしい静かな泡になる
カモメ
カモメ
ときどき凧のように静止して
ぼくらも時間をとめたように
肩をならべて座りこむ
海の轟きと
ひかりが
ぼくらをみたす
波打ち際に転がる大きな流木を指さして
彼女がたずねる
あれどこからくるのかしら
さあどこからくるのだろう
彼女のひざに顔をうずめる
やわらかくて
あたたかくて
目を閉じると
海の轟きと
彼女のぬくもりの中に
ぼくは
ぼくはすみやかに消える
ねえ鯨こないかなあ
さあどうかしら
ねえ海近づいてきているみたいよ
潮が満ちて
灰色の線が
波打ち際の泡が
ぼくらのほうに近づいてきていた
彼女が集めた色とりどりの小石が
星座のように灯ると夜になった
風が冷たくなって
彼女は胸の前で掌をにぎりしめ
ふるえている
ちいさないのちのおもさで
ふるえている
彼女の肩を抱いて
その掌の中に
ぼくの手も握りしめられて
ぼくらはじっとふるえていた
星座がぎらぎらと輝いて
聖像画のようにぼくらを照らしだした
海の轟きの向こうに
あべまりあ
きしきしと星のきしむ音が聞こえる
ねえ蛍とんでいるわ
ふりかえると
原生花園に
何万もの蛍の群れが
ひかりの標のように点灯しており
海風にのって
いっせいに空へと舞上がった
天上の星々と
蛍の群れと
ひかりの雲の中にくるまれて
握りしめていたぼくらの手を
彼女がそっと開く
すると
ぼくらの掌の中からも
無数の蛍が
金色のひかりを放って
舞い出てきた
ひかりを浴びて
彼女の顔も
黄金色に映える
ねえ蛍とんでいるわ ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=22797
自由詩
2004-11-02T15:23:14+09:00
-
今でも時々僕の肩を濡らす
廃園の木下闇に
置き忘れられたブリキのバケツ
松葉を伝い落ちる雫が
想いおこさせる
もうひとつの心臓
眠れぬ夜毎
消え残る雫がほのかに光り
再び落下していく
夜の底へと
今でも時々
僕はあなたに語りかけています
僕はどうにかやっていきます
心配はいらないよと
小糠雨の降る森の小路は
稜線へ至るにはいまだ遥かに遠く
薄暗い唐松林の奥深くへと
鬱蒼と茂る下草に足を濡らしながら
なおも途切れがちにたどられていく
何処から来たのだったか
何処へ行くつもりだったのか
頭上で漆の葉が赤く染まる すると
唐突に視界が開け
僕は小さな草原に立っていた
雲の割れ間から
一筋の日の光が差し込み
日に映える野
ススキの穂が風にそよぐ
透けるような藁色の明るみの中で
遅咲きのコスモスが一輪
風にふるえていた ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11377
自由詩
2004-04-28T14:30:22+09:00
-
土星の奴が現われてクネ〜(´ー`)〜クネするので
おいこら輪っかんぼう叩くぞと脅してやると
土星の奴め お月様の後ろに隠れ
こそこそ輪っかを取り替えて逃げたようです ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11313
自由詩
2004-04-27T16:55:28+09:00
-
風がびょうびょう吹いて
トタン屋根に映る雲がごうごう流れて
乗りそこなった月の船は地平線の向こうです
星のない空は
なんだかとっても寂しくって
電信柱を伝わって
風に吹かれてふうらふうら
街外れの麦畑まで歩いたら
も少し歩いたら
あなたに会えるような気がしたのです
ぶつぶつ呟く街灯の下で
光る石を拾った晩のお話です ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11255
自由詩
2004-04-26T19:37:43+09:00
-
ほんの少し
光のかけらをわけてくれた
下弦の月の白い顔が
空に溶け込んでいく時刻です
おやすみなさい
お月様
インクびんのふたを閉めて
閉じ込めたのは月の光
そのような淡い色彩で
描かれたのは心のかけら
しらみはじめた空の下
飛べない鳥が翼を広げ
曙のコラールが
がらんとした世界を染めていく
遠く明日の方では
見知らぬ平原に
テントを張った旅人が
ぶつぶつ呟きながら
燠火を見つめています ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11133
自由詩
2004-04-24T19:16:09+09:00
-
柘榴石の星座がきしむ
西の方に5分ほど
かちりと音を立てて静止していた時が進む
一億光年の夜が流れ
廃棄物処理場に水たまりのような鏡
割れた月が赤々と燃えている
鉛色の護岸に覆われた河のほうから
霧の匂いが漂いはじめた窓を閉じる
眠れぬ夜が茫々と白象の肌をなで
チェルノブイリの空には
放射性降灰が静かに降りつむ
かつて河岸段丘があったころには
誰もいない野原がどこまでもつづいており
深夜の魚群が吐く泡が
川上へゆらぎわたる風をやわらかく包んでいた
一本の送電線が天の楽譜をつまびくと
小さな街灯の明るみのなかで
ときには懐かしい唄を奏でてくれた
影絵芝居の都市が窓の外に点灯している
風ににじむ送電線が空を分かち
星々への階は闇の中を斜めに突き上げる
水晶の寝台には微かに潮解の兆しがあり
不安を覚えた私は起き上がる
テレビのスイッチを入れる
ブラウン管の青がふるえ
原子炉の炉心を妖しく照らすチェレンコフ光
青い電子の井戸の底から女の顔が浮かび上がる
水面がゆらぎ藁色の髪毛が広がる
私は女の頭を抱え髪をなでる
女の赤い口がかすかに開き 笑う
私の手をはねのけてゆるりとまわると
彼女は尾びれで水面を打ち 潜っていった
# フォーマルハウトは魚座の一等星で、
周囲に明るい星が無い為「南の孤独な魚」などと呼ばれています。
↓チェレンコフ光はこれです
画像http://atomsun2.atom.musashi-tech.ac.jp/pic1.htm
説明http://www.ne.jp/asahi/ogi/home/back/095.html
かってにリンク(^^;ワラ ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11023
自由詩
2004-04-22T20:09:50+09:00
-
祖父から譲り受けたアンティークの電話機で、佳子は今夜も何者かと会話している。その電話機は飾り物でコード゙は何処にも挿してない。まあ、神様の声を聞くのに電話線を介さねばならない理由というのも思い浮かばないが、明らかに佳子は崩壊しつつあった。佳子には僕の背中にぽっかりと開いた虚無が見えるそうで、毎日神様にその穴を埋めてくれるようにとお願いしてくれているのだった。
始めは些細なことだった。対人緊張の度が増し、雑踏の中に出るのを怖がり部屋から出ることが出来なくなった。毎日日没時になると窓辺から恐怖に慄いた目で夕日を眺め、「つれてかないで、つれてかなで!向こう側へ連れてかれちゃう、淋しいよ、淋しいよ」と泣き喚き、「あんたはぜんぜん私を見ていてくれない」と僕を責め、終いには車のキーや靴を隠すなどして僕の出社を妨げるようになった。
全ては僕のせいだった。ピラミッドを逆さに立てようと試みたかのような僕らの生活、はたしてそれが生活と呼びうるようなものであっただろうか。
或る時僕は探偵だった。最初から存在したことのない何者かを追跡するのが専門だった。また或る時僕は夜警だった。4頭の巨大な象の背中の上に支えられた円盤状の世界の果てで、決して届くことのない何者かからの合図を待つのが勤めだった。全ては虚無が、僕の中の虚無が原因なのだ。
神様との電話が始まった頃のとある晩、職場に病院から電話が来た。佳子を保護しているので直ぐ来てくれとのことだった。病院で会った佳子からは全ての表情と言うものが消えていた。何を問い掛けても反応がなかった。電車の中で、「うるさいわねえ、黙っていられないの!」と叫んだ後、昏倒したのだという話だ。入院することになった佳子を置いてアパートに戻ると、居間の床一面に土が撒かれていた。いやはや今度はアパートまるごと使ってガーデニングかい?片付けるる気力も湧かず、ソファーにごろりと横になる。サイドテーブルを見ると、空になったナデシコの種子の袋が幾つも幾つも几帳面に折り畳まれて、星型の図形を作っていた。
*
最後の入院から帰ってきたその年の冬、佳子は麻痺したようにぼんやりと窓の外を見ていることが多かった。相変わらず神様との電話は続いていたが、もう夕日を恐れることはなくなっていた。
その日、朝早く目覚めた僕は久々に佳子を外に連れ出すことに成功した。テレマークを履いた僕らは、近くの河川敷の疎林をゆっくりゆっくり散歩した。遥かな空の青みから幾筋もの光の帯となって射し込んで来る木漏れ日がとても美しかった。久々に身体を動かしたせいか上気した顔で息を弾ませながら佳子は言った。
「ねえ、えいえんってこういうものなのかなあ。」
そうかもしれないね。
「ねえ、えいえんって何?どんなえいえん?」
さあ、どんなものだろう、きっとお日様の光のように暖かくて優しいものなんじゃないかな。
「そうかなあ、そうだといいね。」
誰もいない林の中に、雪球を投げ合って子供のように戯れる佳子の声が木霊した。
*
その晩、仕事を終えて部屋に帰ると、佳子の姿は灯油のポリタンと共に消えていた。けたたましいサイレンの音がドップラー効果を実演しながらアパートの前を通り過ぎていく。救急車のサイレンの音を追って河川敷へ走ると、人垣の向こうの雪野原の中に、人の形をした炎が灯っていた。
*
その後、僕も何度か神様に電話をかけた。
「神様、神様、これもあなたが望まれたことなのですか?
*
神が答えるわけがない。 ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10812
散文(批評随筆小説等)
2004-04-19T05:19:51+09:00
-
@ノ”
@ノ”
かたつむりは
えいえんに
えいえんに
たどりつきませんでした
おしまい
海と空と
何のために生まれてきたのか
海と空とえいえんに触れるため?
振り返ると
淋しさだけがつのります
夕日のトンネル
今日も夕日がキレイダッタヨ
堤防の上に寝転がったお日様は
まるで
トンネルみたいだったよ
あいつを潜ったら
えいえんにふれることが出来たのだろうか
影
お日様の上を一筋の雲がよぎった
すると
誰もいない夕べの街角に
茜色の音をたてて
巨大な影が倒れた
えいえんなんて なかった
抒情で
優しくて暖かなえいえんは何処へいったのだろう
僕はもうくたびれました
えいえんを探す旅はえいえんに決まってるけど
6月の野に咲く花のようなえいえん
インディアンサマ−のようなえいえん
街灯の下の小さな明るみの中で拾った水晶のようなえいえん
抒情で生きていけると思っていた
抒情で自身を支えることができると思っていた
えいえんなんてなかった
えいえんには
えいえんには
いつでもアクセスできます
デバイス無しで
タクシードライバーのテーマが聞こえてきそうな
朝もやの中すすきのの片隅で
酔いにまかせて飛び込んだ10月の夜の海の底で
倒産したも同然の会社で
いまさら無意味な月次収支を報告したときの
社長の泣きそうな顔の中に
いつまでもねちっこく夢にでて来る死んだ女の面影の中に
深淵
世界の真中にはぽっかりと穴が開いていて
埋めることも
橋を架けることも
身を投げることもできなかった
えいえんなんてなかった
地雷の上にも
わんこのむくむくの手触りのようなえいえん
トタン屋根に映った星の光のようなえいえん
あの娘のほっぺのえくぼのようなえいえん
遠い異国の丘の上で地雷の上にも咲いたアザミのようなえいえん
更けていく夜の果てにぽつんと灯る街灯のような えいえん
アンモナイト
雪どけの沢を登っていくと
あちこちで河岸の白亜の崖が崩れて
時々アンモナイトが転がっていたりもする
ふたつに割れたアンモナイトの房室のなかには
方解石が結晶していたりして
始めてアンモナイトの沢に入った日は まだ中学生だった
あの日からずっと えいえんを探してきたのだな
お星様
風がさわさわ囁くので
タバコの先に火を灯し
深夜の庭に出てみると
がらんどうの天蓋に
からっぽ闇が映されていました
ねぼすけの神さまが
幻灯機で星々を映し出すのを忘れたようです
えいえんなんてなかった
約束の地図
琴似2条通りで地下鉄を降り
大交差点に立つたこ焼き屋台の明るみから出ると
地吹雪の流れていく夜の果てに
どこかで見たような人影がひとつ
いまだに立ちすくんでいたので
俺は銀の紙に記された約束の地図をくしゃくしゃに丸めて
山犬のようにうなる風の中にほうってやった
えいえんなんて なかった
一過性の歳月
久しぶりの雨が世界を洗ったあと
巨大な死の翼を広げた鉄の鳥が
上空をよぎった
銀屋根には真紅のビーコン
夜の女王の指輪が煌く
えいえんという名の
一過性の歳月もなかばを過ぎて
無が触れてくるのがわかります
カモメ
鉛色の海は静かにないで
茫々と煙る空を見上げると
カモメが一羽
ぴんでとめたように
静止していた
えいえんなんて なかった
放射冷却
夜はどこまでもふけていくので
星は瞬きもせず見つめているので
放射冷却の朝を迎える前に
遠い所へ心を飛ばした
えいえんなんて なかった
えいえんなんてなかった
ふけていく夜の果てには
光る石がひとつ落ちていて
その石の中には
小さな心が封印されていて
あなたと出会う約束を
果たせなかった寂しい思いが
流した涙の化石なのです
どこまでもふけていく夜の果てで
薔薇色の石を握り締めた僕は
ひとつの透明な影となって
ひとつのほの暗い明るみとなって
分かたれることのない世界を
呪現しようと思います
えいえんもなかばを過ぎた
遠い岸辺は星々のもと
見知らぬ夜明けを迎える前に
流氷が
軋む音が聞こえています
# ホムペの「永遠短詩集」の抜粋です。
興味を持っていただいた方はこちらの方にもいらしていただけると嬉しいですヽ(´ー`)ノ
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自由詩
2004-04-11T14:35:51+09:00
-
今日から失業者ですわコラ。知能程度の低い友人どもはねちっこく解雇解雇と書き立て
ますが、私が会社を首にしたのですよコノヤロウ。
日本国をアジアにするべく完全失業率のアップに貢献したのだよコラ。
今日は1日寝て過ごしました。むさ苦しいおっさんのひきこもり。よってほんじつも詩
とめるひぇんはお預けです。
あやしーわーるどなどの地下掲示板群からしか人がこない下品な掲示板であったのに、
このところ訪れる人が増えましたな。非常に喜ばしいことであります。
男たるもの詩を書いて何ぼ、詩を書かん奴に用はありません。ここはひとつ、遠い昔、我
が祖国ロシヤはネバ川のほとりで友人が開発した旧ソ連邦の科学技術の結晶、爆裂電波詩
道強化ギブスや爆裂電波詩受信ギアをはめて、文学の王道を探求するのも良いかもしれま
せんな。
2.
ティムポを握り締めてしばし呆然としていたわたくしの目を覚まさしたのはご近所のガ
キどもでした。カーテンも閉めずに放心していたのはうかつでしたな。
「変態!」と叫ぶ声が住宅街に木霊するうら悲しい午後、今日は鬱です。
目覚めると時計の短針が45度も進んでおりました。ティムポ握ったまま。
ああなんか人生みたいだな、とわたくしは思いました。
会社を辞めてから一週間、そんなふうにやり過ごしてしまいました。
まだ旅には出られません。寝癖が脳の皺にもついてしまったようです。
わたくしが呆けていた間にも、窓外では雲が流れ、風が渡り、人が出会ったり別れたり、テ
ィムポが立ったり立たなかったりと世界はポエムとメルヒエンに満ちていたのでありまし
ょうが、一行のたわごとも出てこないのは私のせいではありません。
実存とは不条理なものなのです。
3.
今日は休肝日にするつもりだったのですが、ムーミンとドザエモンが地獄で飲んだくれ
ている様を想像して、あのぷにぷにの腹に触れれば「めるひぇん」の一つも出てくるので
はないかと思い至りウイスキーを買いに走ってしまいました。そんなわけで今日も激しく
酩酊しておりますが私のせいではありません。
さて、仕事のことでありますが、なかなか見つかりませんな。何故かと言うと、探さないから。職安には一度参りましたが、
「ここにはえいえん在りますかぁ?(´ー`)」
「はぁ?(;´Д`)」
というやり取りだけで帰ってまいりましたよはい。
親切な飲み仲間が夢のように良い職を紹介してくれたりもしたのですが、
「僕には過分な仕事だ、つとまるわけない」と、ダメダメ鬱野郎丸出しでせっかく頂いたチ
ャンスから逃げ回って不細工な柔道選手で一本抜いたりしておりますよ、はい。
もはや抗鬱剤ごときでは労働意欲が沸かないようなので、精神病院に出向いて、
「先生、アクセラとブラッティーアイ処方して下さい。心身もPCも12倍速に強化したいのです」とぶちかまし、ただ飯を食うのも良いかもしれませんな。
世の中には既に機械の身体を入手された方もおるとか。羨ましい限りです。
私も銀河鉄道に乗って機械の身体を入手し、幸いあふるる夢の国へ行きたいのですが、切符
を買う金がありません。そこで一つ提案があります。ネットアイドル菜々子のことであり
ますが、実はわたくしが菜々子でないという保証は何処にもないわけではないような気が
しないでもないわけでもないわけで、@女の子であるかもしれないような気がしないわけ
でもない私が貴方をデバイス無しで抱っこしてあげますので送金若しくは銀河鉄道への乗
車券を送ってください。
悪い取引ではないと思いますよ。わたくしは控えめに見てもナタ―シャ・キンスキー以上
の美貌を誇っております。「一生童貞」さん見ておられますか?
貴殿らも、もし御ふじゅうなさっておるようなら宜しく切符の調達に御協力願います。
4.
さて、私は昨日クラブサイベリアに出向きプシュケーを入手しました。よってもうデバ
イスは必要ありません。リアルワールドとワイヤード(ネット空間)の境界がずぶずぶと
崩れていくのが解ります。そんなわけで1日中ネットスフィアに入り浸っておるわけです
が、神の探索の為です。テイヤールドシャルダンの弁証法神学が予見していたとおり、ワ
イヤードという広大な新世紀の新現実の中には、新しい、遍在する神がおるのです。
ニーチェによって告知された神の死から一世紀以上、人類は孤独でした。だが今まさにここ
で新しい神が産まれ出つつあるのです。
5.
今日は友人に「オマエは酒やめても相変わらず既知外だな、ピンクの象が見えないと自
慢げにほざいているが、中毒の対象がワイヤードに変わっただけで、リアルワールドでも
「(;´Д`)ぁぅぁぅぁー」とか「(*´Д`)萌え」とか言っている自分の現状を直視しろ。トッ
トと働けやゴルア!」と、キツイお叱りを受けました。
また、素敵な女に頂いた電話には「わたしは半既知外で相変わらず無職でダメダメ鬱野
郎なのでかまわないで下さい、さようなら」と返信してしまいました。
今日は激しく鬱です、殺してください。
そんなわけで病状は悪化する一途なのですが、ポエムやめるひぇんも飯を食わねば書け
ませんので今日は職安に行って参りました。職安に行くにもそれなりの正装というものが
あります。ジャージ(アディオス)、無精ひげ、寝癖のついた頭など。
礼を尽くして行ったつもりなのですが、私が持ち込んだ求人票を見た担当官殿は
「これは競争激しいよ、もう決まっちゃったかもねえ」とツレナイ言葉を吐きな がら私の
姿をねめまわしました。無礼な奴です、死になさい。
実は先日も某社に面接に行ったのですが、
「君は何ができるのかね?」
「君は何故当社で働きたいのかね?」などと
馬鹿の一つ覚えのような台詞を吐き続けるので、これはひとつものの道理を教えてやらね
ばならんなと思い至り、
「御社が私に何を期待しておるのか解りませんが、ちんぽの立ちは良いほうです」
「お見受けしたところ貴方はリストラ寸前の脳梗塞気味のハゲですが、貴方にはいったい
何ができるのですか、リストラなら得意ですのでお任せください」
と言い放ち、帰って参りましたよはい。馬鹿につける薬があったら分けてください、マイ
フレンド。
それにしてもやはりいまだに神の姿が見えないのは何故でしょうか。
脳の中にアンテナを高く掲げ、150万光年彼方からの電波もキャッチできるようにしておる
のですが、わたくしの空っぽの脳みその中には二つ三つ流れ星が落ちてきただけで、小さ
な波紋を作って消えてしまいました。
神よ、何故に我を見捨てたまいし。
もうすぐ冬です。トットト雪積もって俺を埋めれや。
5.
海のお腹のように柔らかなあんたをなでていると、とっても気持ちよかったんだ、君は
素敵な娘だよ、ほんとにさ。いつまでもこうしてられると思ってたわけじゃ無いけど、な
んかぬるぬるしてきて、なんか臭いし、死んじゃったんならキレイな白い石になるまでも
う抱いてやらない。しばらく波打ち際に転がってな。
タクシードライバーのテーマが聞こえてきそうな、空っぽの、淋しい朝靄の立つススキ
ノの片隅でサックス抱えて物乞いしたのは俺じゃないし、激しく降り始めた雨に打たれな
がら「えいえんなんてなかった、えいえんなんてなかった!」と叫んでいたのは俺じゃな
いし、夕日がとってもキレイだったので、真っ赤なトンネルを潜ってどこか遠い所に行っ
ちゃったのは俺じゃないし、それに、東西線を止めたのは神様になりたかったからじゃな
いんだレイン。薄れ行く意識の中で浮かんだ台詞はやはり「何もこんなふうに終わるのは
俺だけじゃないさ、宇宙だって熱死するんだ」だったので、いつまでも馬鹿の一つ覚えの
ようにこの世界に膨張と収縮を繰り返さしておくわけにはいかないので、20世紀大世紀
末、北の都の片隅で、俺はちっぽけな屑で、完全失業者で、ポエムデュークひとつ満足に
撃てない、存在しないも同然の時空の歪みのような男だから、世界の果てにぽっかりと開
いた真っ黒な穴になってこの世のありとあらゆる物を宇宙の外に放り出して必ずや消滅さ
せるつもりです。
電信 ダーザイン キトク シキュウ カネ オクレ ]]>
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散文(批評随筆小説等)
2004-04-10T08:26:42+09:00
-
今日の星空はとってもきれい
おまえのところも晴れていたら見上げてみろよ
カシオペアやプレアデスが頭上でふるふる震えている
白鳥座の十字架は西の空に沈んで行こうとしている
もうすぐ冬だ。真っ白な雪が、汚いものも優しいものも
みんな埋めてしまうんだ
俺はちっぽけな屑。俺も埋めれや
今日の少女は赤みが少し増したようだ
赤方偏移って奴か?
ピンクのワンピースをまとった少女はどんどん遠ざかっていくのだが
いつかまた帰ってくるんだそうな
そんなことを永遠に繰り返しているうちに
古いモノクロの映画フィルムのように
擦り切れてしまわないだろうかね
宇宙の熱死推進に青春を賭けてきた俺としては
永劫回帰を証明する近年の天文学者の観測結果は不満
よって宇宙はいずれ擦り切れると仮定してみる
二.星屑の停車場
世界の果てへの旅の途上
星屑の停車場で膝を抱え
私はバスを待っています
来るはずのない青いバス
道は草むらの中に消えて
草原は海中に溶け込んで
夜花を照らす星々の灯り
貴女の姿を見失ってから
ずいぶん時が経ちました
遥かな岸辺の波打ち際で
化石している鳥達の飛影
永遠に触れた旅の思い出
三.カマイタチ
初雪が舞う峠を飛ばしながら、ぼんやりと「不明」の言葉を反芻していて
一瞬、虚無が左眼の奥で炸裂し、危うく谷底に転がり落ちそうになった
金魚鉢の中の金魚のような俺の永劫回帰
想像しただけでぞっとして、逆上の果ての神殺しを演じかけたわけだが
むろん神様なんてとっくに死に果てているわけで、ナイフは空を切り
俺は存在しないも同然の、時空の歪みのような男なので
傍目にはカマイタチが虚空をよぎっただけ
すなわち存在しないも同然の出来事だったりするわけだ
微かな記憶の糸を辿り
藁色の髪のひまわりのような笑顔を、思い浮かべてみようとしても
影絵芝居に灯す光源は見つからず、夜は更けていくわけで
とても、もう一度とは言えない
シジュポスのようにはいかない
四.ゼロの夏
しんしん降り積む雪の夜空に
夏の形見の花火をひとつ
打ち上げてきました
えいえんに失われた
ゼロの夏
送電線をたどって
坂道を登りつめても
遠い記憶の中で微笑んでいる
ピンクのワンピースのあなたは
もうどこにもいなくて
誰もいない夜空に灯した光の花束は
誰に届けられることなく
消えていったのです
さようなら
20世紀
五.鉈を一本もってこい
風の強い夜だ 星がふるふる震えている
草原の千の舌がざわめき 電信柱をたどっていくと
地平線で、人の形をした巨大な塔が燃えている
おいお前、なたを一本もってこい
明日という名の空ろな祈りを、打ち据えた無の一撃を
なたを一本もってこい
六.放電
星屑の停車場で
あなたに電話してみました
海の声も 風のそよぎも 眠っている
深夜の国道
どこか遠い所で
放電するような音が聞こえています
オヤスミナサイ コノヨル
七.消えろ、すべて
俺は宙に浮いている
下水溝を流れていく
紙くずのように風の中に消える
雨がしとしと降れば 電線はしとしとにじみ
死んだ女の声が聞こえる
たくさんの声が雫になって
落ちてくる 木霊する 響き渡る
落ちていく どこまでも どこまでも
無底の闇の奥深くへと
アスファルトは水を吸わない
水は黒い鏡面の上を流れる
俺は宙に浮いている
或いは下水溝を流れていく
消えろ
すべて
# 全面的に書き直しました。改訂新版はこちら。
http://members.at.infoseek.co.jp/warentin/hosikuzu.html ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10326
自由詩
2004-04-10T08:22:46+09:00
-
金色に光る
なだらかな稜線へとたどる
うつむいた桜草が
風にふるえ
太古の海を弔ってきた
アンモナイトがひとつ
朝日を受けた岩の間に割れ落ちて
失われた鐘の音が鳴りとよめき
方解石の白が煌めく
丈低い千島笹を踏みしめて
幾つもの藁色の丘を越え
国境稜線へといたる途上
どの丘の上にも
ただ茫洋と
空だけがあった
風に吹かれて所在無く
透き通っていくこのからだ
このこころ
遥かな青みの向こうには
絶対零度の真空が
身投げする者の瞳のように
黒々と見開かれている
何もありはしないのだと
思い決めてなお
紡がずにはおれぬ言葉があった
あなたはと ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10272
自由詩
2004-04-09T16:56:03+09:00
-
コードは何処にも差してない
その受話器が持っていた番号は
もう何処にもないんだよ
遠い昔つながっていた
あなたの電話番号も
もう何処にもないんだよ
あなたが消えた夜の果てにも
光の粒子が寄り集い 今は
幾つもの明かりが灯っている
銀の砂粒
金の砂
青い炎の衣をまとった
星の子供ら
こんな夜にはベッドを抜け出し
コートのポッケにウイスキー入れて
丘の上まで行ってみようか
とっても寒い夜だから
コートの襟立てマフラー巻いて
冬枯れの野を
ゆっくり ゆっくり歩いていこう
空っぽの電話が再び鳴る
受話器を取ると
どこか遠い所で
風が吹いている
目を閉じると
果たされることのなかった
約束の花束が
風に舞い散り
宙空に
色とりどりの星座を灯す
いつもお電話ありがとう
天気輪の丘へ行く道は 今夜も
星屑でぎっしりだよ
青く光る道をたどって
丘の頂きに立てば
僕はもう
ここにいるのか
そこにいるのか
わからなくなってしまいそうだよ
受話器は何も答えなかった ただ
どこか遠い所で
風が唄っていた ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10143
自由詩
2004-04-07T15:04:04+09:00
-
雪がしんしん降っている
大きな街の片隅で
人と人が出会う
どこか遠くの知らない街で
風がヒューヒュー吹いている
大きな街の片隅で
男がひとり
生きる望みを見失う
遠くの山の向こうでは
桜草が咲き乱れ
子供たちの明るい声が
光射す野にこだまする
明日も今日と同じ一日
遠い異国の丘の上では
男がひとり
狙撃主に打たれる
神さまに
家族のことを頼むいとまもなかった
遠い島の波打ち際で
男がひとり船を出す
夕暮れの海に
静かに櫂挿し
どこか遠い所へ
ここではないどこかへと
冥王星の向こうでは
寂しい目をした航海者が
出すあてのない手紙を書いている ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10084
自由詩
2004-04-06T16:09:55+09:00
-
下弦の月のまわりに
虹色の光の輪を作っていた薄雲が通り過ぎる
窓辺に焼きついた油色の日々が
ガラス板から流れ落ちる
星々がさわさわ震えている
明滅する交通誘導棒を持ち
人明かりの消えはじめた
薄ら寒い夜の街角に立てば
ビルの影が微かにゆがみ
闇がほのかに光り始める
夜の精たちの
永遠のあやとり遊び
人通りがなくなると
思いはどこか遠いところへ
寂しい海辺へ
或いは
懐かしい見知らぬ景色
草原の千の舌が
湿気った夜風にざわめき
存在しない女の形をした塔が
しずかに
しずかに
燃え上がる
夜もふけて
深夜便のトラック乗りが
時たま通るだけになる
永遠の合図を待つ歩哨のように
赤い光の警備棒を振りながら
テールランプの明かりを見送ると
頭上の電線が
かすかに
かすかに
ざわめきはじめる
あなたはどことどこを繋げているのですか
あなたは神様のいる場所に繋がっていますか
あなたは知っていますか
つながれることのない手のぬくもりを
風の強い夜だ
俺のサイフには
黄色く色あせた写真が一枚入っており
きっといつまでたっても
捨てることはできないんだろうと
そんなことを思う ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10014
自由詩
2004-04-05T14:34:07+09:00