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ja
Poems list
2024-03-29T20:24:05+09:00
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できることならば遠くから眺めているのがよいでしょう。
*
雨だれ
雨の音がするのです。
理由はそれだけです。
すべての言い訳は
雨に消されてしまうのです。
* *
芍薬
ふくらみはじめ
てしまった蕾を止めることは
できません。それほどまでに純粋に花は
ただ開こうとします。その先を考えたりは、しな
いもの。だから、どうか、あなたの方で私の温度をあ
げないように注意を払ってください。どうするこ
ともできないのです。蕾をつけてしまっ
たことに、気がついてしまっ
たその日から。
* * *
蝸牛
おとこのせいも
おんなのせいも、おなじひとつのか
らだのなかに。けれどひとりではあいすること
はできません。かんぜんなひとつではないからです。わ
たしはいつだっておもっていました。わたしがおんなでなかっ
たら。あなたがおとこでなかったら。 けれど、きっと
おなじいたみをもつのでしょう。あなたがあな
たであるかぎり。 わたしがわたし
であるかぎり。
* * * *
階段
階段の途中で私たちは座り込み
夏が来るのを待っています。
階段の途中で私たちは揺れたまま
秋の終わりを待っています。
* * ** *
傘
ひとつの傘の下にふたりでいると
どちらかの肩が濡れてしまいます。
肩に落ちる水の冷たさは 警告を
発しながら ふたりの距離を縮め
てしまう 透明すぎる共犯者です。
* * * * * *
ジン・トニック
サファイア色の時間……45ml
6月のしずく ……適量
現実のスライス ……一枚
トニック・ウォーターというのは熱帯にあ
るイギリスの植民地でマラリアよけなどに
使われていた保健飲料です。6月に飲むジ
ン・トニックには、時折トニックの代わり
に「6月のしずく」が使われてしまいます。
甘くするのも、苦くするのも、あなた次第。
適量という言葉にご注意ください。 ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=92838
自由詩
2006-11-10T03:44:56+09:00
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君君君君君 君君君君君
君君君君君君君 君君君君君君君
君君君君君君君君君君君君君君君君君
君君君君君君君君君君君君君君君君君
君君君君君君君君君君君君君君君君君
君君君君君君君君君君君君君君君
君君君君君君君君君君君君君
君君君君君君君君君君君
君君君君君君君君君
君君君君君君君
君君君君君
君君君
君
君で心がいっぱいになる
君のことしか見えなくなる ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=76679
自由詩
2006-05-31T23:55:33+09:00
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こん と ないてはなりませぬ
こえをあげては なりませぬ
とられたくない だいじなものは
かくしておかねば なりませぬ
くらいよみちは こわいけど
ふきさすかぜは つらいけど
ひとさまよりは やさしかろ
ひとのにおいは ないけれど
かあさま だいてくださいな
かみをとかしてくださいな
とうさま むかえにこれぬなら
せめておふみをくださいな
こん と ないてはなりませぬ
しっぽをみせては なりませぬ
かげをふまれて つるされたなら
やまのおうたも きけませぬ
「きつね月」
きつね なきます つきのよる
おちちがはって ねんころろ
だいてたあのこは どこいった
だいてたあのこは さとのむら
うそをついたら したぬかれ
うそをつかねば ねんころろ
うそをいわせた かのひとは
したのいたみも しらなんだ
おわれおわれて つきのよる
だいてたあのこは もういない
こよいはかぜが つめたかろ
こよいはゆびが つめたかろ
きつね なきます ねんころろ
ひがくれるまえに みたほしは
あのこがなくした すずだろか
あのこがないた かおだろか
「きつねつき」
かごにのせられ まいります
わたしをしらない あのまちへ
はるにははなが さくけれど
はるにはとりも なくけれど
しらないかおの しらないひとが
わたしをとおりすぎてゆく
はるにははなが さくけれど
はるにはとりも なくけれど
なくしたうたを うたうのは
つきがあんまり まるいから
なくすものさえ なかったら
つきもなみだに しずまぬものを
かごにのせられ まいります
わたしをしらない またまちへ
はるにははなが さくけれど
はるにはとりも なくけれど ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=76147
自由詩
2006-05-27T23:41:28+09:00
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その瞬間 誰もが手を握りしめた
第2コーナー
その馬はこらえきれずに前へ出た
からだ中で訴える
もっと前へ
もっと先へ
場内アナウンスが聞こえる
「1,000m 58秒で通過」
速過ぎるこのタイムが意味することを
見守ってきた者たちは知っている
暑すぎたあの日がよみがえる
もう一度
このレースには次のチャンスがかかっている
もう一度
このトラックの一瞬に
馬たちがすべての力を振り絞って追い抜きにかかった
中山競馬場 最後の直線
トゥルーリーズンを引き離す
馬群を抜いてホオキバウェーブが駆け上がる
追いつけるか
抜かれるか
バルク バルク
バルク バルク
願いでも叫びでもある声が名前を連呼する
コスモバルクが帰ってきた
あの日より一層大きくなって
飛び交う声が歓声に代わる
その日 コスモバルクは1秒9も時計を縮めたコースレコードを打ち立てた
(2004/09/30) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=75285
自由詩
2006-05-21T03:32:25+09:00
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なにか
必要なもの?
よくわからない
足りないことはわかってる
だから 内緒で探してみる
だから ついつい拾ってみる
時にそれは枯葉だったり
時にそれはカタツムリだったり
いつも 内緒で探してみる
いつも ついつい拾ってみる
そう それはきっと
どこにでもあるもので
だけど きっと
代わりのないもの
遠い山の中の木の一本
遠い宇宙の星ひとつ
広い世界のうちのただひとり
そのくらいに きっと
大切なもの
足りないんだ
だから 内緒で探してみる
足りないんだ
だから ついつい拾ってみる
結局それは波にさらわれそうな
貝殻やなにかだったりするのだけれど
結局それは一瞬光る
貝殻やなにかだったりするのだけれど ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=74995
自由詩
2006-05-19T00:51:22+09:00
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(註:これはサブタイトルであって小熊秀雄から学んだことではありません。)
昨日、とあることがあって「罵倒する」ということについて考えてみた。罵倒する理由など、今の(そしておそらく未来もの)私にはないのだけれど、「作品として罵倒すること」について考えてみようと思った。
「『罵倒』と言えば小熊秀雄である。(もちろん「小熊秀雄と言えば『罵倒』」では決してない。)by小熊ファンwill」という単純な回路のもと、小熊秀雄詩集(岩田宏編 岩波文庫)を読み返してみて、読みたいと思っていた「文壇諷詩曲」に辿りつく前にこの詩に出会ってしまった。
「怖ろしい言葉を」 小熊秀雄
頭を掻きむしって
詩をかく時代は去った
立派な発声法によって
生きた人間の呼吸を吐け
友よ、
労働者詩人よ
詩の古い形式を理解しろ
だが信ずるな
僕はあいつらの
貞操をコヂあけて
砂をぶち込んでやった
真理でもないものを
真理だと堅く守っていたものにとって
君達も僕のように
暴力者となったらいい
うんと怖ろしい言葉を吐くのだ
たえがたい悲しみを
痙攣的な憤怒を
立派に整理して
吐露することが
科学的な新しい詩人の役割だ
可愛い雀斑の娘が
私達の傍にやってくるだろう
魅力はもうあいつらにないから
あいつらのところには
もう美しいものが
集まっていかないだろう
さあ、元気を出して
うたうのだ
呟いてはいけない
口の開けたてを正確にして
生活の歌をうたうのだ
(旧ひらがな使いだけ現在のものに変換)
もうこれ以上は言わない。
わかるひとにだけわかってもらえばいい。
ここに書かれている7行目
そして8行目
ああ、なんということ!!(劇画調)
実は、昨日、熱く熱く語ってしまったのだ。詩論なのか現代の詩人論なのかを。
それは、涙をも伴い、悲しみも伴い、怒りをも伴い、私の丸一日の思考を占領し、けれどある意味劇的な信頼の修復という希望と光に満ちて終わったのだけれど(少し誇張気味??)、この詩を読んだとたん、私は恥ずかしくなってしまった。昨日の論争に似たもの(その発端となった論文も含めて)はこの詩の中に凝縮されているような気がして。(註:今私はこの詩をこの詩本来の背景からではなく、読んでいます)
私たち皆、アフロどころか、ちょんまげだよなあ。過去の詩人たちからしてみたらね。
(小熊秀雄がこれを書いたのはおそらく昭和12年頃だと思う。)
長谷川龍生の声が聞こえる。
「なぁにをそんなわかりきったことを書いてるんですか。今は、もう2006年なんですよ!」
ま、それはともかくとして(へこたれない。人間というものは学べるもの。成長するもの。←ホント?)昨日の自分を振り返って、ふと思ったことがある。
「昨日の私って、熱血ドラマの主人公みたい(大汗)」
それもかなり「やれやれ」みたいなタイプ。
少し前、小説も含んだ作品の合評会があって、いつもは冷静で深く鋭い読みと指摘をしてくださるEさんという60代の男性が小説家の先生に顔を真っ赤にして反論する場面に出会った。合評会の後でEさんは、私と先生に「すみません。ついムキになってしまって」と恥ずかしそうに別の赤らめ方をして照れ笑いをした。私はその時、Eさんに「自分の作品のことなのだから、それでもいいと思います。」と言った。先生は「合評会だからね。何言われたって、とにかく自分で一番いいと思えるものを書いて、これでどうだ!ともう一度見せてください。」と仰られた。
私たちは皆ひとりひとり、自分の思う作品や方向、スタイル、詩論(持論?)を持っている。それを統一するには「詩」というものは大きすぎるし、統一されてはならないものであると私は思う。皆が皆同じタイプの詩を書いたら、それこそうんざりする。
けれど、「大切なものを守る」という行為は、時に(あるいは毎度毎度)争いを起こさせる。言葉だって武器だ。血は流さなくても胸に痛みを残す。憎しみすら起こさせることもあるかもしれない。
私は少し想像してみた。もしも私が昨日の文章を見ても無視していたら、どうだったろう?私はその人を知ろうともしないまま、その人の作品、その人を肯定する人たち、関わる場所すら否定していたと思う。
人間は、今の姿がすべてじゃない。お互いにこれから成長してゆくかもしれないし、いつか同じものを目指すかもしれない。反対に、今、同感していてもやがて違う方向に離れてゆくものもあるかもしれない。
もしも、自分がどうしても「違う」と思う詩論に遭ってしまったら、その人本人に話してみるのもいいんじゃないかな。文章のどこが違っていて、どこは肯定なのか、本意とする一番のものは何なのか、自分だったらどう考えるのか。私たちは争うときもあるかもしれないけれど、戦争をしてるわけじゃない。お互いに相手が「書いてゆく者」であると敬意を持って。そうしたら、今考えている以上のものを、またそれぞれがいつか(そう、今じゃなくて、いつか)考える、なんていうこともあるかもしれないし、自分とは全く考え方や詩の向かう種類も違うけれど認め合える、なんていうこともあるかもしれないな、
なんて、今度はちょっぴりポエ学園ドラマだったりする今日この頃。ふぅ(笑)
補足:それでも、どうしても溝が深まるばかりだったら、長谷川龍生の「ちがう人間ですよ」(現代詩文庫 続・長谷川龍生詩集 51p)を唱えながら、世界の争いを憂い、今自分のすべき道を考えましょう。 ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=74372
散文(批評随筆小説等)
2006-05-14T02:48:21+09:00
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おかえりなさい
ごはん できているわ
おいしそうだね いただきます
そうだわ にちようび どこへいく
えいがをみて さんぽして
いっしょに ゆうはんのかいものにいこう
それは すてきね
たのしみだわ
はやく にちように ならないかしら
ねえ あなた しゃらびぃが こっちをみてる
ああ しゃらびぃだね こっちへおいで
だめだなあ おちゃわんを おとしちゃったよ
だいじょうぶ はっぱでできているから おとしてもわれないわ
しゃらびぃに ごはんをあげたいんだけど
たべられるもの なにかあるかな
そうねえ
わたしたちのしょくじは おはなのはんばーぐだし
しゃらびぃは えんぎができないわ
とても おいしいおしょくじなのに
しゃらびぃには たべられないわ
そんなかおをしないで しゃらびぃ
わたしたち とても しあわせなの
おうちとかぞく そしてしゃらびぃ
たとえ おままごとであってもね
しゃらびぃ かわりに これをあげる
ほうら きれいないしでしょう
ねぇ ぼくたち そろそろ
ほんとうのせいかつに もどらないかい
しゃらびぃに たべるものを かってやりたいんだ
だめよ あなた きめたじゃない
りそうてきな かぞくに なりましょうって
いつも わらっている やさしいおっと と
いつまでも かわらない うつくしいつま
げんじつにもどったら
きっと わたしたち わすれてしまうわ
わすれるって なにを
ぼくは ぜったいわすれはしないさ
いいえ いつか なくしてゆくの
あたりまえのことをあたりまえのこととして
そこにあるのが とうぜんのように
それでは しかたがないね
しゃらびぃだけ はなしてやろう
しゃらびぃ
ぼくたちのしゃらびぃじゃなくなっても しっかり いきてゆくんだよ
さあ これで しんぱいは なくなった
おままごとを つづけよう
でもね あなた こまったわ
わたし とても さびしいの
しゃらびぃがいないとおもうと
とても とても さびしいの
へんね わたしたち ふたりだったはずなのに
しゃらびぃのいたじかんは ほんのすこしだったのに
ねぇ あなた おままごとでも
なくしてゆくものは あるものね
このきれいないしを しゃらびぃと おもっても
ほんもののしゃらびぃには かえられないわ
なかないで のりこえよう
こうして ふうふは つよくなるんだ
ほうら ぼくたちは りそうてきな ふうふだろう
いつも わらっていなくっちゃ
あなた あなた こまったわ
わたしたち としをとりはじめてる
しゃらびぃが げんじつにもどしたんだわ
わたしたち としをとりはじめてる
としをとったって いいじゃないか
りそうのふうふというのは
ねんれいを じょうずに かさねてゆくものだ
あなた あなた こまったわ
さむくて おなかがすいているの
もう おはなのはんばーぐは たべられないわ
とても おなかがすいているの
ほんとうだ ぼくも おなかがぺこぺこだ
おはないがいのものが たべたいや
あなた あなた どうしましょう
げんじつのふうふになったのに
しゃらびぃがいないの しゃらびぃが
わたしたち これからどうしましょう
しゃらびぃなしで どうしましょう
ほんとうだ ぼくたち これからどうしよう
しゃらびぃがいなくて どうしよう
ほんとうのふうふになったのに
しゃらびぃがいなくて どうしよう
]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=74235
自由詩
2006-05-13T00:28:48+09:00