廃人がポツリとつぶやく部屋4[698]
2006 10/22 21:55
「ま」の字

 最近の日本史の大変動にかかった時間

   明治維新〜ペリー来航1853から15年で維新1868
   戦後改革〜昭和恐慌1930から15年で敗戦1945(満州事変1931からなら14年)

 そこで今回だが、まず起点が難しい。候補はバブル崩壊1990前後、細川内閣(55年体制終焉と小選挙区制導入)1993、景気腰折れ(拓銀・山一證券)1997、しかし、これは前回戦後改革における1920年代(いわゆる恐慌の時代)に当たる時期だととらえると、案外政治の激動期の幕開けは小泉政権始動2001または郵政選挙2005あたりとなりそう。ここで、9.11の存在を考え合わせ、起点を2001年と暫定的に置く。

 現代という時代は、20世紀半ばまでと違い、簡単に戦争を起こせる時代ではない。それは大変いいことなのだが、その結果歴史の動くスピードが遅くなったという面もある(ブッシュ政権はそれを踏まえ、その遅さを嫌って戦争を起こしたが考えが浅すぎてあの始末である。アレじゃ19世紀以前の愚かな王たちが起こしたな軽率な戦争に逆戻りしただけである)。
 歴史の進展するスピードが遅くなったと考えられる現在、今回の日本の変動が前回・前々回同様に15年前後で決定機を迎えるかどうか、まずその点がちょっと疑わしい。また、今回の変動は前回・前々回よりその大きさは小さく、社会の土台までも揺り動かすかどうかはちょっと疑問だ(たとえば憲法改正だが、たとえ再軍備その他に踏み切ったとしても、うちの国民が「平和主義」の看板まで下ろすにいたるとは今のところ考えにくい。北朝鮮の核問題に絡んで、世論がアメリカの9.11直後のような動きをする可能性はあると認めるにしても)。

 今回の変動が終わったあと、どんな社会になっているのだろうか? と考える。ここら辺まで来ると、私の手に負える話ではないのだが、最近ひとつ思うのは

 「正社員」と「そうでない人」の賃金格差がなくなるのではないか

 ということだ。イメージとしては農地改革か(実は財閥解体も労働運動奨励も、収入の平準化という点では同じなのだが)

 むろん、理想の世の中なんかはやって来ない。フリーターや派遣の人の給料が正社員並みに上がるのではなく、正社員との中間あたり(それも派遣フリーターより)のレベルになるだろうか。

 経済の動向を握るのが「収益を上げる側(企業、および労働者としての一般人)」でなく、「金を払う側(家庭、および消費者としての一般人)」となってくれないだろうか。文化の担い手は、既に江戸時代には富裕庶民、現代は完全に一般庶民に移っているのだが・・・。 だが今回そこまでは動くまい、というよりこの願いは私の夢に過ぎないも知れない(たとえばこの手の夢として代表的なものは「社会主義」だ)。「ワーキングプア」なんて、言葉だけ新しいけど、結局19世紀的な「搾取される労働者」そのものじゃないのか? あの社会保障のない時代と、働いても社会保障費が払えない今と、結局同じじゃないか。好景気は需要(消費者)の動向によって決まるというが、結局企業が生き残るかどうかが焦点となってしまう。そして企業が強くなれば(生き残れば)何とかなるのだと経済学者さえ言って、雇用される側は「雇われてるだけありがたいと思え」と言われて働くのだ。「我々も頑張って、自分の会社を勝たせねばならないと」と思って働くのだ。そして世の中がぎすぎすした分は「おもいやり」などの精神主義で「金をかけずに」補おうとする(精神主義自体は相応に大切であるのはむろん認めるが)。

 競争の勝ち負けを問題にするのではなく、その勝負の土俵の方を、誰か疑わないか。

 現在「正社員」層の一員にいる私個人は、「特権階級」と罵られながら大幅な賃金カットされることを想定して、せいぜい貯蓄に励むしかないのかもしれない。年金制度も分からないかもしれない(崩壊はしないだろうが)。

 いずれにしてもイチ教員の呟きである。あまり真剣に受け止められても責任は取りません。

 激動期、いっとき威勢のいい攘夷論や軍国主義を唱える人がハバをきかせた。大きく見れば、その人たちは国民意識の育成や、システム改変のエネルギーを作った功績はあった。が、結局使い捨てにされたことも忘れるわけにはいかない。と思って、生徒には「今は先が見えない。何が正しくて、何が正しくないか、せっかちに結論を出さずよく考え、よく見ろ。激動が終わったとき、みんなが来るべき社会を作る中堅層なのだ」と言ったりすることもある。
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