04/04 03:17
佐々宝砂
個人的になのか社会的になのかわかんないですが(笑)悩んでます。ものは統一された方が美しいのでしょうか。そりゃそうですよねえ。綺麗に揃って並んでいるものは美しいです。シンメトリックなものも、美しいです。でもバラバラでわけわかめな混沌もずいぶん魅力的な気がします。私はぐちゃぐちゃなカオスが大好きで、それを筆名にしているくらいです。でも。でもでもでも。うー。どうしたらいいんだっ。と叫んでもみなさんには意味がわかりませんねぇすみません。叫びたいお年頃なのです。
最近『茶色の朝』というフランスの寓話が話題になっています。詳しいことを知りたい人はネットで「茶色の朝」と検索してみてください。わりとたくさんひっかかりますが、すぐにどんな本かわかると思います。茶色い猫以外はダメという法律ができて、その法律が犬にも適用されて……やがては。という反ファシズムの寓話です。うちの猫が白黒ブチだからこの寓話が気になるわけじゃないけれど(関係ないけど片野さんちの猫も白黒)、ああ。どうも統一性とか美しさというものが非常に気にかかってたまらない今日この頃です。自動ドアの透明ガラスが割れたとき、あの混沌は絶対に「善」ではなかったのにとても美しかった。善=美かもしれないし、美=善である場合も多いかもしれないけれど、例外も多い。例外が、多すぎる。
今私が悩んでいる、そのもののバラバラさは、なんというか、なんというか、バラバラさのすばらしさを訴えたくてバラバラにしたのに、今はそのバラバラさが美しくなく見えてしまい、いまさら統一感を求めようかなどと考えたりする。私は綺麗に整列した某国の軍隊などみると吐き気がする人間なのですが、それでもやっぱり統一されたものの美しさを否定できない。統一しろと命じられたらどんなに楽だろうとも思いますが、なにしろ統一を命じなくちゃいけないのがこの私。統一性が好きなのか嫌いなのか自分で判断できないこの私。答えなんてないのはわかっています。わかっているけどぐちゃぐちゃしたいお年頃なのです。
4月2日付朝日新聞夕刊6面に、野口晴哉という人についての記事がありました。そのなかでリーダーの資質に関する名言がありました。「リーダーはむつかしいぞ。利口でだめ。馬鹿でだめ。中途半端はもっとだめ」。じゃあどうすりゃいいのかと私は思いました。私は中途半端です。記事の中に答えていわく「技は振うべく修むるに非ず。用いざる為也」。技は修めて、でもそれを使ってはいけないらしいのです。ああ私にはリーダーの資質なんてないなあ。ああ。全く嘆きたいお年頃なのです。私は36歳です。つまり中間管理職的立場初体験のお年頃なのです。