2016 10/28 22:11
コトコレ
過疎していますけれど、すてきスレッドですね。
書けないがつづいたばあい、書かなくてもいい、に自然に減衰していくのか、
なんか書かなくてはマズい、とあせるのか。
詩をそしる意図はまったくないのですけれど、
もの食らい生きてゆく十分条件は詩なしになりたちますし、
自分で書かなくてもいい詩いっぱいあるので、むしろおなかいっぱいだったり。
書けないって、なんで書くのか、の裏面であるように思います。
書けないときにみてるオ空だったりきいてる雨音だったり、
ことばや意味の喉奥につっかえたところでの感受が、そこだまって、
詩の形姿をつくる気がいまはしています。
なにごとかの伝達の意志はあったにせよ、
饒舌や多弁がほしかったら、別の表現形態を選んでいたんじゃないかと、
さもしいサンプルに過ぎないですが、自分自身について思います。