何故あなたは詩を書くのか?[56]
2006 01/23 12:52
窪ワタル

佐々宝砂さんの提起は非常に難しい問いです。
自由詩というジャンルの無規律性から来る問題なんだろうけど、それは「自由」だからそうなるわけで、この「自由」は、詩にとって、それこそ根幹とも云うべき大事な要素だと俺はおもうので、基本的に作者が詩だといえば詩だとしか言いようがないでしょうね。

俺は、小説を書いているつもりはまったくないわけです。すくなくとも、俺が読んできた小説と、詩は違ったもんだし、俺は小説に影響を受けるよりは、より多く詩に影響を受けている。もちろん、俺が小説だとおもっているものから影響をうけたり、その手法を使って詩を書くこともある。現に、ある詩人から「ロボさんの詩は、小説に近い。」と言われて納得した覚えがある。

散文というのは、かなりいい加減なもので、それが詩であるか、あるいは短編小説であるか、私小説や随筆であるかということを明確に定義することは難しい。ただ、多くの場合、小説は、イメージより、映像(ムービー)によって構成されているとはおもう。詩は、イメージなのだ。辻褄があうことよりは、イメージを押し広げることによって、世界を構成している。その意味では、詩の方が、小説よりはるかに自由度が高いのではないかとおもう。ストーリーである必要はないわけだ。ただ、小説よりは、音の雰囲気だとか、リズムを大事にするし、言葉の本来の意味の世界から、イメージを引き出す(押し広げる)ことに主眼があるようにおもう。

で、なんで詩を書くかだけれども、小説より自由だからだとおもう。俺は、小説も書こうとしていてどうしても書けなくて詩に戻ったんで、単に詩しか書けないからってこともあるけど、俺の感触では、小説よりも戯曲が、戯曲よりも詩の方が自由で、手軽に書ける。この手軽さは、そのまま簡単さとか、安易さに結びつくものではないことには注意が必要だが、詩の中で、言葉を通じて新たな視点、世界のカタチを発見する、あるいはたどり着くと、達成感がある。誰も足を踏み入れていない新雪を踏み汚すような、罪悪感や羞恥心に似た喜びがある。それが、そこにたどり着くまでの恐怖感や、孤独感に勝るとおもっているうちは書くだろうな 小説家もそんな風におもうのかもしれないんだけれど、俺は詩を書いてるから、小説家の心理は分からないし、わからなくていい。こういうと身も蓋もないけれど、究極的には、俺が詩だっていえば詩なんだとしか言えないな、それでいいとおもっている。
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