何故あなたは詩を書くのか?[54]
2006 01/23 11:38
佐々宝砂

問題提起ばっかしてて申し訳ない、のですが、えと。

小説はムービーだと北村さんは言うけれども、そして確かに大部分の小説はムービーなのだけれども、小説の中にはとんでもないものもあります。小説というものは非常にさまざまな形式を許してきた芸術です。手紙形式、カルテ形式、裁判記録の形式、アンケート形式、座談会形式などなどいろいろあります。ものすごく古くはいわゆるゴシック小説というものがありまして、これは物語を語ってはいるのですが断片からなりたっています。もう少し新しくなりまして日本のかんべむさしの「集中講義」「会議ひきのばし」、連想連想で言葉を連ねたストーリーのない奇妙な形式の小説です。最近でも(っていうほど最近でもないけど)津原泰水、牧野修の作品のような「これが小説なら詩はどーすりゃいいんだ!」と叫びたくなるようなシロモノもあります。単純に表記の面からみて、行分け・句読点なしという普通の行分け詩の体裁をとった小説もあります。とりわけJ・G・バラードが提唱し日本では筒井康隆が試していたコンデンス・ノベルという形態の小説、あーいうものは非常にデジタルで詩的な跳躍をするので、詩よりも詩的なくらいです。

したがって私には、小説と詩の見分けがつきません。なので私は、作者か批評屋が「これは詩だ」とか「これは小説だ」とか言うのをそのまま信じます。

私がみなさんに訊ねたいと思うのは、なぜ詩なのかってことでもあるんだけど、「なぜ自分の書くものが詩だと思うのか」ってことなのかもしれないです。もしも自分の書くものが詩ではないと思うなら、詩でなくってもいいやと思っているなら、「なぜ現代詩フォーラムという詩のサイトに投稿しているのか」ということも訊きたいなあと思います。

勘違いしてほしくないんだけど、なんていうのかな、詩じゃなくてもいいやと思いながら詩を書いてる人を糾弾するつもりはぜんぜんないです。むしろものすごく気軽に詩を書いてほしいなと思っています。詩というジャンルそのものはそんなに高級なものでもないと思っています。っていうかジャンルそのものに貴賤はないですわ。

なので、>>53みたいな書き込みに賛同する私なのでした。
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