何故あなたは詩を書くのか?[12]
2006 01/09 05:01
佐々宝砂

なんで詩を書いてるかよくわからない。もしかしたら単なる習慣。

幸か不幸か子どものころから親に七五調を仕込まれ、朝の食卓で川柳を作らされた。それがおそらくは最初の詩作。川柳が詩、ならばだけど。私は川柳も詩だと思うけど。ともあれ口から出任せでも七五調になる程度には七五調を仕込まれた。だから私の初期の詩作はみな七五定型短詩である。いわゆる口語自由詩を書くようになるまでにはかなり時間がかかった。もちろん口語自由詩の存在は知ってたし好きな詩人も何人かいたけれど、私が現代詩のごとき高尚なものを書いていいとは思えなかった。でも、小説なら書いてもいいんではないかという気がした。それで私は小説を書いた。読み返した。ひどい出来だった。原稿30枚ほどあったその小説を、私はわずか10行程度に縮めた。そうしたら、その小説はショート・ショートというより散文詩に近いものになった。いま思えばそうだったということで、当時は「こらだめだ」と思うのみ、原稿は焼き捨てられた。その後ドアーズに出逢って「ああこんな歌詞もありなんだな、こんな歌詞なら書けるかな、書いてもいいかな」と思い、歌詞めいたものを書き始めた。一方で私は子どものころからの習慣どおりに川柳と短歌をつくりつづけていた。母親が「俳句なんてむずかしいものやっちゃだめ」というので、成人するまで俳句はやらなかった(はじめたら、あまりにもむずかしくて、でもおもしろくてどつぼにはまった・・・)。

私はなんのために詩を書いてるかよくわからない。わかったと思ったときもあったがいまはとにかくわからない。もしかしたらやっぱり習慣。生活が幸せでも不幸せでも、習慣ならだいたいは休まず続ける。ものすごく幸せならそれはそれで詩ができる。しかし、ものすごく鬱になると洗顔のような当たり前の習慣さえおざなりになるように、詩作もやっぱりおざなりになる。つまり私は鬱状態になるほど極端な不幸せのときは詩なんか書かない。そういうときはクスリ飲んで寝る。私はとくに詩をつくることによって救われたことはない。他人の文章(詩と限らない)を読むことによって救われたことなら何度もあるが。

と、ここまで書いていきなり気付いた。

詩を書くのは気分がいいのだ。だからかくのだ。とりわけ、きちんと書けたなーいい出来だなーと思うものができると、誰がほめてくれなくてもうれしい。数学の問題が解けたときのようにうれしい。

言葉はあふれることがある。凡庸なポエムっぽいものや無意味な七五調や語呂のいい異言だったらいくらでもあふれる。まあそんなものだって普通の台詞よりは詩にちかい。とはいえそんなものやっぱり詩ではない。私にとって詩は「つくる」ものだ。ありあわせの材料を使って毎日料理をつくるように、ありあわせの材料で私は毎日詩をつくる。
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