詩とメンヘル[214]
2006 09/08 13:00
大村 浩一

>>210 佐々本さん
なんか励ましスレになってるね。(笑)
弱音吐く詩人ってあんまり好きじゃあないけど。(笑)

 以前、新宿のダンボールハウスを見た時、奥主さんから
「あの人たちの中には、善良で気弱なばっかりに、他人に自分の立場を
譲り続けて追い詰められてしまった人も居ると思うんです」と言われ、
慄然とした事がありました。
 自分が生きているという事は、誰かを押しのけて自然の一部を喰らっ
ているという事で。生まれた以上、その内側に居る自分としては、その
いたたまれない事実に耐えて生きるほかはない。
 じゃあその代わりに世界へ何かを返すとか、そのために詩を書くとか
言うような考え方も、全くもっておこがましいと私は思います。

 ただ、人間として。この「自分が生きる」という最低限の線は自分で
守って良いし、そうする権利は当然あると思う。
 そのぎりぎりの線で生き、あるいはそこから書こうとする自分という
ものを、他人から否定される云われは無いと私は思います。

 誰かの為に書くのではない、のだけれども、自分の為だけに書くので
もない。矛盾しているかもしれないけれど、ほんとうの作品ってものは
そういうものではないかと思う。
 だから他者を求めないというのは、詩がことばである以上考えにくい
し、好ましい事で無いと思う。しんどくても、晒す。その中に別の光明
を見出す事も、時にはあると私は思います。

 ベテランレーサーだった高橋国光がその晩年に、
「自分が思い通りに走れたって思えるレースは生涯に何回も無かった」
みたいな事を確か言っていました。
 フッサールが哲学で言うように、本当の詩というものは、それを追求
し続ける人だけに、接線のように現れるものだと私は考えています。

 …以上まとまりませんが、ちょっと思った事を。  ポエム王子 拝
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