質問スレ[187]
2004 09/20 14:21
川村 透

 詩の批評を書くことはほとんどない。僕は、ある詩への自分勝手な思い入れと読みによる「鑑賞」は書きたくなったりすることはあるけれど。だから「書く立場」での詩の批評については何も書く資格がないと思っている。
 ただ、現代詩Fの合評には、時々顔を出すので「ほんとうは自分勝手な鑑賞」を発言しているだけのつもりでも、それは批評として読まれているんだろうな、と思う。僕はただRT合評の場においては、「勝手にその詩に寄り添ってみて」感じた印象を、ブレインスト―ミングのノリで短い語句にして即興で打ち出すセッションをしているに過ぎない。その際に他の合評に参加している方の読みや解釈や、Keyになる言葉や、引用するurlなどが刺激になって、思いつきや直感や違和感などが加速されたりたわめられたり、目の覚める思いをしたり、何かが解ける気がしたり、謎が深まる気がしたりする。それをできるだけ生の言葉で打ち出し、「場」に預けようとやってみる。「場」というか「座」そのものが、まれにドコカに届く、あるいは触ろうとしてる、と感じる瞬間があったりするのをただ自分勝手に楽しんでいる。やっぱり、少なくとも僕の発言は批評からは程遠いんだろうな、と思っている。
 詩の批評はどうあるべきか、ということはよくわからない。ただ、僕はその詩に「寄り添うように」言葉をつむぎながら、力強い詩の併走者のようにどこかの地平へと突き抜けて行き、気づいてみれば、その詩、すら振り落として駆け抜けていってしまう、そんな批評が好きだしそんな批評を読みたいと思っている。
合評で書く僕の言葉は、その「場」へ預けるという意味で、合同で批評の場に参加しているメンバ―への投げかけであることを第一義にしている。
 その時作者のことはほとんど意識していない。どれだけ効率よく正確に端的に自分の印象を座に預けるか、ということしか考えていない。
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