質問スレ[184]
2004 09/20 00:27
藤原 実

西脇順三郎は「詩は脳髄の中に一つの真空なる砂漠を構成してその中へ現実の経験に属するす
べてのサンサシヨン、サンチマン、イデをたゝき落すことによって脳髄を純粋にせしむるとこ
ろの一つの方法である。ここに純粋詩がある」と言いました。
サン・テグジュペリが不時着したリビアの砂漠で神秘的な少年に出会ったように、ぼくたちも
叩き落された「真空なる砂漠」でじぶん自身の幻影を見るわけで、それは蜃気楼や虹のように
どうしたってバーチャルなものでしかない。確かに眼には見えているのだけれど。

鏡の国では近づいて行こうとするときには逆に後ずさりしなければならない。そうしながら詩
人は世界に向かってコトバを投げつけるわけで、その身振りを読み取らずに、拾い上げたコト
バばかりを吟味しても批評の場が豊かになるとは思えないのです。

ぼく自身が今、批評を書けずにいるのにはいろいろ事情があるのですが、ひとつにはぼくを叩
き落してくれるようなコトバに容易には出会えない、ということもある。
そういう詩との出会への待望は、ブルトンが『狂気の愛』で「空中の不可能の花でも摘むよう
にあなたを摘み」にゆきたいと言ったように、あくまでもバーチャルで、脳内恋愛と蔑まれて
もしかたがないものなのですが。
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