質問スレ[145]
04/19 00:22
佐々宝砂

いろいろとお考えくださったみなさんありがとうなのです。

いとうさんの言う通り「好み」でおっけーだとは思うものの、漢字の選び方と文の雰囲気があってるかどーかこそ重要な問題なんではないかと思う私は、漢字配分を主題によって変えます。普通の文章だとこれくらい。硬質な感じを出したい場合は、サラさんと同じように漢字を多くします。でも大和言葉の漢字表記を多くするだけではなくて、漢語も増やします。また、たまに明治時代っぽさを出したくて漢字の多い文章を書きます(中島敦大好き♪)。そういうときは、漢字を増やすだけでなく、語彙そのものも明治っぽくしますし、送りがなも減らします。其の場合詰り此様な文章に為る訳で有り、其は態と斯様な表記を選取つて居るのです(それでも莞爾=にっこりはやりすぎだよな)。だけど口語で書くんならあたしゃ漢字なんてあんまり使やしないんで、このてーどの表記になっちゃったりもします。宮有さんがいうように、ひらがなやかたかなでないとかけことばはかけにくいから、ひらがなばっかりにしちゃったりもします。

それでも、詩を書くための漢字表記だったら、なんでもありだろうな、詩というものはそのくらい自由だよなとも思っていて、だから「ざっ苦り」だって「どっ斬り」だってありにしちゃいます。そーゆー漢字の使い方はとても詩的だとおもっちゃうのです。川村透さんの漢字の使い方なんてときどきはちゃめちゃだけれど、それは計算のうえやってることだと思うんですよね。正規でないとわかってて、言葉そのものの力に立ち戻らせるための異様な表記、としてのへんてこな漢字使い。それはいいんです。それならいいと思うのです。

私がわかんなくて悩んでるのは、高倉さんみたいな使い方でした。なんで「成ら無い」にするんだろう、深く深く悩んでいたのですが、「こんな事ふつうしないな」という理由だったのか、だとしたら、確かにわざわざそういう表記もわからんではない……。高倉さんの意見、とても参考になりました。ふーむ。

と、まだ唸りつつ白川静の『漢字百話』を紐解く佐々宝砂でした。
白川静によれば漢字は呪能を持つらしいですよ。下手に使ったら呪われたりして(笑
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