質問スレ[134]
04/13 05:08
ドジ

>>123kirscheさん

手垢のついたことばっつーのは、そのことばが想像させるイメージが「映像として固定してしまったもの」ということでいいのではないでしょうか。
例:「あいつは飛び上がって喜んだ」←勇躍歓喜ってことでしょうが、ひとつのマンガ的な映像が平面的に著述されて、どんな連想も抱かせないゆえに陳腐になっている。
例:「あいつに尾っぽがあったら振っていただろう」←ことばは固定されたイメージをきびしく拒んでいる。ことばは尾っぽという映像ではなく、「あったら振っていただろう」という関係性の構造を表出するがゆえに、ことば本来のもつ多重なイメージを自在に読み手に与える。
しかしこの表現も多用されるに従って(どのことばも)いずれは必ず、固定したイメージを(時代の蓄積とともに)読み手に与えるようになる。
「手垢がつく」とはそういうことではないかとぼくは思っています。
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