2026 02/27 08:34
室町 礼
>「でもね、田中さん、室町礼さんは詩人ですよ」
>と言われ、それきりになってしまいました。
これは褒め言葉ではなく以前、批評なんか無理だから詩かいてれば、
いいのだと、澤あづさ氏から言葉を投げかけられたことがあって
これもわたしが批評を書くことへの揶揄だと思いますよ。
しかしわたしは澤氏こそ批評無理だから詩書いていたほうがいいと
思ってます。
わたしの批評がなぜ忌避されるか。忌み嫌われ、スルーされるか
どこへいっても相手にされないかはその理由が全部わかっているのです。
それはわたしの批評が倫理的だからです。
倫理的というのはどういうことかというと、かつて吉本隆明が
「詩人の戦争責任」論のようなものを書いたのですが、ああいうものを
倫理的な批評ということになります。つまり、文学界隈で倫理的であると
いうことは必ずだれかを傷つけてしまう。
よって倫理的な問題提起を戦後の詩壇、文壇は忌み嫌うのです。
「プーチンに起因する不条理」という文言はおかしい、
「わたしたち」という主体性のない主語はおかしいという批評はこれみな
倫理的な批評で、必ずだれかを批判することになります。
そういうものはこの飽食平和日本の詩壇では隅々まで一掃されたのです。
しかしですね、
貧乏で家無し、親なしで、散々苦労するとどうしてもまず倫理的に世界
や政治や文学をみてしまう。これは世界の傾向です。
日本だけが異常なのです。
いまのところわたしの批評は総スカンを喰らい、相手にされず、イイネも
つかないけど、
アフガニスタンや東欧やアフr蚊やインドや南米では必ずイイネがつく
世界性をもっている はずです。笑
倫理から遠く離れて非現実的な世界で自分を愛しく愛撫している日本の
詩人なんてだれも相手にされないでしょう。
谷川俊太郎がまずそのような非倫理的な詩で日本人の歯を抜き、吉増
あたりがさらに頭をからっぽにさせ、和合亮一あたりでまったく倫理の
ない日本の異常な詩の世界が完成した。
そう思っています。
このことをちゃんと見据えているわたしがどうして批評者でないことが
あるでしょう。わたしは詩人でもないし詩も書けないけど、批評者と
しては世界性をもっていると自負していますがね。