現フォ文学アウトロー[113]
2026 02/28 08:10
室町 礼

ラカンでもウィトゲンシュタインでもいいのですが、
わたしはまったくこういう連中の妄想を信じる気はないし、
本読んでも批判的にしか読みません。

驚くべきは大学で学生たちは教授から批判的に思想や哲学を
読むことを学ばなことです。批判的に読むことを教えられない。
ラカンならラカンの解説を教えられると頭からそれを暗記し、
絶対的な真理として使いはじめるし、
教授も教えたあとでこれはどこが間違っているか、疑問に思えるか
を教えるどころか
すべての事象をそれにあてはめようとする。

本来は、一個人の妄想である思想を、必ず批判的に教えなければ
ならないはずが
暗記と知的特権性のペンダントにしてしまう。
ラカン本人が「すべての人は妄想する狂人である」といってるの
だから本人もキチガイなわけです。そういう人間のいうことは
その人間だけの理論であることがなぜ分からないのか?

ウィトゲンシュタインも、言葉の意味は現実世界の事象(事実)と
一対一で対応しているという有名な「写像理論」を展開したけど、
わたしは「そんなことあるかっ!」と一読本をゴミ箱に棄てた。
すると後年、ウィトゲンシュタインは「写像理論」を自ら否定して
言葉の意味は現実世界の事実と一対一対応ではなく、
関係性で意味が生まれるという「ゲーム理論」に変更した。

あたりまえの話です。言葉の意味が現実世界の事象と一対一
であるわけがない。中学生の詩人にもわかる。
ラカンもそうで。ラカンの三界理論なんかラカンだけの理論に
すぎない。それを盲信して振り回している澤あづさ氏をわたし
は何考えてるのかと疑問視してきた。

あの「箱」という詩はラカンやらポストモダンやらロシア・フォ
ルマリズムやらをそのまま反映させて書かれたものだけど、
ああいうものはそれ自体が狂気の産物だから読んだらまとも
な人の心が傷つくこともありうる。
読まないほうがいい文章かもしれない。
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