多様化する倫理観[959]
2005 06/22 07:31
不老産兄弟

いかいかさん

>>837 奥主さんの発言
>「私は私で、ぽつりぽつりと書いていこう。ちくま新書の「靖国問題」は、まだちょっと拾い読みをした程度なのだけれど、この中に靖国擁護の意見として書かれた文章の引用が、冒頭近い部分にあります。で、その内容を読んでいると、あらゆる記述が予め決められている結論によって左右されるという、なんだか歯車が空回りして元の位置に戻るような、収まりの悪さを感じるのです。ただ、その文の中では、「収まりの悪さ」というのが際立っているのですが、実際に自分が話している相手にそうした納まりの悪さがあるときには、相手を理解しようという斟酌がある分、かえって問題になっている部分を見逃してしまうのかなとか、そんなことを考えてしまうのでした。」

ここで奥主さんが自分の自明性について疑っていると言うことを踏まえたうえで

>>882
>自分は、自分は、〜(知識や教養)があるという思い込みから来る 我 しかないんだよ。だから、自分の視野を殺しているし、自分の自明性を疑うことを知らない。

と言う発言をいかいかさんはしています。
奥主さんが、自分の自明性を疑うことを「知らない」という部分の論理の正当性(僕は、この「正当性」を「根拠」として解釈していますが)はどこにあるのでしょうか。

奥主さんが「自分の自明性を疑っている」と言うのは事実が一つでもあるにもかかわらず(実際、奥主さんの発言の中には「自明性を疑う」部分が多く見受けられるが)、「知らない」と言いきるには相当な根拠が必要だと思います。

「奥主さんが自分の自明性を疑っていない部分がある」ということではなく、あくまで「奥主さんが自分の自明性を疑うことを知らない」と言える根拠を聞かせて欲しいと思います。
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