多様化する倫理観[888]
2005 06/16 01:50
不老産兄弟

いかいかさん

>>882
>俺はさ、2chでコテ名乗って、さんざん名無しに粘着されて、そして自分も暴れまわって、叩かれて、そんなことをしてきたから「馬鹿」や「糞」なんていう罵倒に対しては何も思わないんだよ。莫迦や糞よりもひどいことを言われてきたし、まったくの嘘を誹謗中傷として詩板のスレッドに書き込まれたこともあるよ。莫迦や糞なんて可愛いものだよ。2chではそれが日常的に行われていたんだからさ。それでもさ、そこで引いてしまってはいけないと思うんだよ。自分で蒔いた種なんだから。そう考えていかなければ、ネットであろうとも社会であろうとも成り立たない。奥主さん貴方はそういう経験ないだろうけど。俺は、以下に続くようなことを言うのは大嫌いだが、本音としてあるので、言おう。貴方達の様な大人を見て、ただただ悲しいだけなんだよ。自分は、広い視野を持ち合わせている、知識も教養もある、しかし、実際、発言を見ていると、そこには知性は無い。あるのは、プライドゲームに加担する貴方だけという。自分は、自分は、〜(知識や教養)があるという思い込みから来る 我 しかないんだよ。だから、自分の視野を殺しているし、自分の自明性を疑うことを知らない。誰かと対話するということはさ、常に自分を疑い続けてから初めて成立するんだよ。文体が稚拙でも、まともなことを言ってるんじゃないか?と思わないのかい?小学生の意見の中に、鋭い指摘はないと思っているのかい?。

「私は私で、ぽつりぽつりと書いていこう。ちくま新書の「靖国問題」は、まだちょっと拾い読みをした程度なのだけれど、この中に靖国擁護の意見として書かれた文章の引用が、冒頭近い部分にあります。で、その内容を読んでいると、あらゆる記述が予め決められている結論によって左右されるという、なんだか歯車が空回りして元の位置に戻るような、収まりの悪さを感じるのです。ただ、その文の中では、「収まりの悪さ」というのが際立っているのですが、実際に自分が話している相手にそうした納まりの悪さがあるときには、相手を理解しようという斟酌がある分、かえって問題になっている部分を見逃してしまうのかなとか、そんなことを考えてしまうのでした。」

この奥主さんの発言ですが、この発言のポイントは自分の自明性を疑うところにあるのではないでしょうか。「相手のおさまりの悪さばかりに目がいってしまっていた」自己を疑い、「問題となっている部分を見逃してしまっていた」自己を反省しているように思えます。
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