2005 06/04 01:40
不老産兄弟
>>795
>最果タヒさん
「文明の倫理」と「文化の倫理」ですが、「身体に基づいた慣習」である「後者」は、内的な規範を形成しているのに対して、文明の倫理、すなわち合理性というのは現代社会で重視されつつある外的な規範であり、倫理の根本的な矛盾はそれらの不一致によるものだという考えは的を得ているかのように思います。
しかし、一見すると対立するようにみえる二つの倫理規範ですが、これらは見方を変えると、「文明の倫理」も、「文化の倫理」に内包されうるではないかと思いました。文明が繁栄し続けるよう、人々が「変化し続けること」を身体に根付かせ、安定させていくというように、文明を享受し続けることを「文化の倫理、内的規範」として組み込んで行くことは可能だと考えることが出来るでしょう。つまり自由を例に挙げれば、自由そのものが文明の産物だとしても、自由を求める姿勢が我々の「文化の倫理観」の構成要因であるのではないかということです。そうなると、内的、外的規範同様、文明、文化の倫理観と言うのも、思っていたようにすんなり区別することが難しいのかもしれません。