2005 06/03 09:22
不老産兄弟
道徳は、人は「常に自分に恥じない行動をする」というように、ある種の一貫性を強要しているにもかかわらず、「そこいら」と「ここいら」では道徳の規範が異なるため、あらゆる状況において道徳的であろうとすればするほど、その人の持つ道徳観は一貫性を欠いていってしまうというように、「道徳」というのは、それ自体で矛盾していて、個人の道徳観と、周囲の道徳規範が異なることは少なくないように思います。言い換えれば、いつでもどこでも道徳を遵守しようとする人間が、道徳的であるとは言えないようです。
そもそも、「常に自分に恥じない行動をする」ためには「常に自分の行動に恥じない」訓練をすることが合理的だと思うのですが、これははたして道徳的といえるのかが疑問です。