多様化する倫理観[776]
2005 06/02 00:09
山田せばすちゃん

>>774
>政府はむしろ、この法律によって表現の自由を奪ってしまうことを危惧している。そのために「風俗に悪影響を与える」とかいう漠然とした表現ではなく、明確に児童ポルノ規制法と銘打っているのではないか。
明確に児童ポルノの範疇として国が定めているのは実際に児童に対する性的虐待があったと推察できる実写の作品です。彼女が主張している児童ポルノ規制の強化の対象は、法律によって定められている範囲を、論理的にではなく情緒的にのり超えようとする策動です。
人身保護の見地から、わが国が定める児童ポルノの規制に関しては俺は異議を唱えていません。ここで言われている児童ポルノの規制の強化が、例えば>>669にリンクしてある児童ポルノ規制法の違反者に対する罰則強化…三年以下の懲役が無期懲役とか死刑だとかになる、とか…であるならば、懲罰の強化による抑止力を期待するだとかそういう議論になるのだろうけれどね。
多分俺や奥主氏が「愛国婦人会」なんぞという例にこだわったものだから戦時中の言論統制云々という話になったのだろうけれど、「愛国婦人会」は決して国家の主導による言論規制組織ではないのだ(まったく国が関与していない、とは言わないけれど)俺たちが問題にしたいのは「愛国婦人会」的な「気分」「情緒」とか言う非論理的なものが、表現の自由という「論理」を圧殺していく、まさにそのことであり、朝鮮人虐殺問題もその延長線上の問題でとらえてほしい。要は倫理の皮をかぶった集団的狂気は、いざとなったらなにするかわからんので、それが蔓延する前に構造ごと解体するべきである、ということさ。
#もっとも、佐々宝砂が>>652>>746で書いているとおり、いずれ情緒が論理を圧殺する日は来るだろう。しかしただじゃぁ、こちとら圧殺はされねえぞ、と(笑)
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