多様化する倫理観[738]
2005 05/28 01:02
山田せばすちゃん

「偽装された弱者」という名の特権から滑り落ちた彼女が次にしがみついたのは、「見てしまった者」という名の特権でした。つか常に特権的な立場にいないと意見が述べられないというのもどうだかなあ、とは思うのだけれども。
「見てしまった者」の特権とは「唯一、私だけが真実を見たのだ、お前たちは見てないので反論してはならんのだ」という言葉に置き換えられます。この手の構造は主にオカルト方面であるとか、彼女が語るに落ちるかのように例証に挙げてしまった歴史的真実のいかんであるとか言う論争にしばしば登場します。言うまでもなくそれは典型的な与太飛ばしでしかありえません。
「私はそれを見た、しかしお前たちはそれを見ていない、ならばそれを見ていないお前たちはそれを見てしまった私に対して何も言うことはできないのだ」というその論法は、背後に「私以外はそれを見ることを禁止する」という超越的なルールを隠しています。なんとならば、それを見たことによる特権は独占されることによって初めて特権となり、議論上の優越になるからです。みんなが同じようにそれを見てしまえば、その特権は消失してしまうからです。
したがってこの構造は物理的に再現が不可能な、歴史問題であるとか、オカルトのような超常現象について語るときに特徴的に現れます。韓国人従軍慰安婦が「私が慰安婦だったのだから私が語ることのみが真実である」といいながらとんでもない与太を飛ばしていたように、丹波哲郎が何を言われても「見たんだからしょうがない」という一言のみを以って死後の世界の存在を肯定したように、です。
さて、児童ポルノについて語るときに「見たもの」の特権を独占するにはどうすればいいでしょうか?簡単ですね、彼女がやったように自分が見たと称する児童ポルノをあれこれと理由をつけて秘匿すればいいのです。彼女はもはや自分が見た児童ポルノがネット上のどこにあるかについては絶対に黙して語ることはないでしょう。見せるのが忍びない、といい、あったはずなのに削除されてしまったといい、絶対にそのイラストをここにリンクしないし、できないのです。それはそれら「見た」と主張するものが本当に実在したかどうかという問題ではありません。彼女が自らの議論上の優位性を保つために、死守すべき最後の砦だから、なのです。#唯一の「意見交換」相手であったOhatu君からも、どうやら彼女は見限られてしまったようです。>>710にOhatu君自身が書いているように、「見たものの特権性」という彼女の稚拙な論法は彼には通用しなかったのですね。彼女はこれからどうするつもりなのでしょうか・・・
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