多様化する倫理観[721]
2005 05/27 09:34
山田せばすちゃん

彼女に対して直接に何を言ったところで、もはやこちらの主張を汲み取ろうとする態度が見えませんので、俺は彼女には何も言うつもりはありませんが、彼女がこの場で何かを言おうとする権利だけは認めておりますので、「出て行け」とか「黙れ」とかいうつもりもありません。ただ、「五月蝿いから俺に話しかけるな」というのみです。

俺はこちらを閲覧している不特定の人々に対して呼びかけています。
>>719で奥主氏も指摘した「独善」の構造は何も彼女やひろよ氏にのみ限った問題ではありません。今も昔も、そこかしこにも、絶対正義を僭称しながら社会的弱者の皮をかぶる発言や行動は存在します。今も昔も、そこかしこにも、それらに圧殺された犠牲者は存在します。しかしながら、絶対的な正義それ自体がまやかしなのです。また奥主氏の発言から具体例を借りれば、「愛国婦人会」は「天皇は神であり、わが日本は神の国であり、大東亜戦争は聖戦である」という絶対正義を振りかざす、市井の御婦人方による運動体でしたが、いまや少なくとも天皇は神であることも日本が神国であることも大東亜戦争が聖戦であったことも絶対性を持ってはいません。
翻って言えば、マルクス主義も、もはや絶対正義ではなくなっています。
さらに言えば「絶対正義」の下にあるからといって、何を言ってもいいし何をやってもいいというものではもちろんありません。半ば呪詛と化したような非論理的な文言を公共掲示板に連続的に書き連ねようとも、感情の激するままに人に悪罵を投げつけようとも「児童ポルノの根絶」という絶対正義のためには免罪されるなどという思いあがりは許すわけには行かないのです。
さらに、絶対正義を標榜しながら、発言者たちはしばしば自らを弱者であると規定します。ひろよ氏が自らについて「私はただ、ここにいる、一人の小さな個人でしかありませんから。」と書き、彼女が病弱だの5キロやせただの点滴を打とうと思うだのどうだのと書くのは、俺には、絶対正義がはなつ権力的な臭気を少しでも糊塗しようとする偽装、に思われます。(誤解のないように言っておきますが、俺は彼女が痩せただの倒れただのということ自体が偽装=虚偽だといってるわけではありません、そんなもん虚偽であろうが真実であろうが今更俺の知ったことではありません。病弱だの家族が反対しているだのと書くくらいならここに来なきゃいいじゃねえか、という個人的な感想はありますが、だから来るな、とか書くなとか、そういうことを言うつもりはまったくありません、ご苦労なこった、と言うのみです。俺はただ、5キロ痩せたからとか、一個人だからとかいう記述自体はなんらその主張の論理的正当性を保障しえないのだから本来ならば書く必要のない事柄であるのに、ことさらにそれを書くことによって弱者を装うことと、それによって主張に情緒的な説得力を持たせようとする策動を批判しているのです。)
心労で痩せようがどうであろうがやってることが間違いであるならばそれは叩かれてしかるべきです。つまんねえ同情を引くような真似に騙されてはいけません。だから同志佐々も自身が、鬱病であるとかどうとか書く必要があったのかどうかについては疑問に思っていることも付け加えておきます。
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