2005 05/25 14:15
佐々宝砂
今夜は夜勤なのに早く眼が醒めてしまい、眠れないので開き直って起きています(人の生活スタイルとはかくも様々です)。
個人の心からの叫びなら通じるというのであれば、このさい、私も心からの叫びを書いてしまいましょう。児童ポルノ的画像愛好者と、実際の児童虐待者を、一緒くたにしないでください。残虐表現を好む人間と、宮崎勤のような現実の犯罪者を同列に扱わないで下さい。私は児童ポルノ的画像を好む人間ではありませんが、残虐表現を好む人間です。そういうものを心の底から必要とする人間です。どうか、私から、残虐表現享受の自由(表現の自由ではないです、私は昔からわりと残虐表現を自粛していますのであくまで享受の自由)を奪わないで下さい。残虐表現が一般にとって不快なことは重々承知しております。だから私は、残虐表現を見たがらない人間に、無理矢理「これを見ろ」といって突きつけたりはしません。書店やネットの片隅にひっそりあればいいのです。それで充分です。
他の人のことはわかりませんが、少なくとも、私にとって、残虐表現は、私の現実の犯罪行為を抑止するものとして働いています。残虐表現が代替行為になっている、という意味での抑止かもしれません。そこんとこは自分でもよくわかりません。私は現実の犯罪を好みはしませんが、犯罪実話を読むのが大好きです。私は犯罪者になる素質を持っている、のかもしれません、というか、おそらく確実に持っているのだと思います。
近ごろの私は、かつてよりもっと意識的かつ意志的に自分の犯罪を抑止しています。「私が子どもを殺さない理由」でも書きましたが、残虐表現だらけの本棚を持ち、ネット詩愛好者である私がニュースで報道されるような重大犯罪を犯すと、非常にたくさんの人間が迷惑します(被害者が迷惑するのは当たり前なので略しますが、被害者のことを忘れているわけではありません)。まず、ホラーで食べてる表現者(私にとっては尊敬すべき人々)がものすごく迷惑します。表現規制が法律で決められなくても、出版社やテレビ局が残虐表現を自主規制すると考えられるからです。実際に、宮崎勤の事件直後、さまざまなメディアが表現を自粛しました。もちろん、ホラー愛好家も迷惑します。特定の犯罪者と同じ趣味を持つということで、ただそれだけのことで、非難されるかもしれないからです。ここ現代詩フォーラムも多大な迷惑を被ります。ここの常連が犯罪を犯したとなれば、ここも非難される可能性があります。
私は宮崎勤のせいでたいへん迷惑を被りました。あのときと似たようなことが起きるのは、もういやです。心の底からいやです。だから私は犯罪を犯しません。私は残虐表現がものすごく好きです。だから、なるべくまっとうにまじめに生きようと考えています。児童ポルノ的表現愛好者の中に、私のように考えて自分の犯罪を抑止する人がいるかどうかはわかりません。わからないけれど、いたらいいなと思います。