多様化する倫理観[690]
2005 05/24 20:39
佐々宝砂

そろそろ本格的にラディカルなことが書けるかなーという気分になってきたので、書こうと思います。だいぶ前の、会員番号1657さんの発言に、少女や幼女を性的対象としてみること自体に問題がある、という内容のものがありました。脳内を見たり法律で規制したりするのは不可能です。いくらラディカルでも、将来的にさえ科学的に不可能だと推測できることを根拠にするのはやめましょう、と思ったので、私は一応、「トンデモ理論はやめようね」という主旨のことを書きました。

しかし、他人(幼女に限らない)を性的対象としてみること、それ自体が差別であるという考え方は、ラディカル・フェミニズムの中ではすでに有名な考え方です。アンドレア・ドウォーキンによれば、「性関係はすべて性差別」であり、「すべての性行為は強姦である」ということになります(この説を「強姦一元論」といいます)。ここまでラディカルになると、フェミニストを自称する私にもちょいとついてゆけないのですが、このような考え方が、世界の見方をひっくり返すことは事実です。

私流にひんまげて解説すると、たとえばわたくし佐々宝砂は、ここにくる人たちにおおむね「女」だと見られております。これを読んでいるアナタが男性であるとして、そのアナタが私を女を見なすと、それだけですでに私とアナタの関係には性関係が混入してしまいます。とりわけ私が「女」という枠に閉じこめられたくねーなーと考えている場合、私は、不本意な、合意のない性関係を強いられているということにもなるわけです。山田せばすちゃんは、私に向かってたまに、「母性発揮してら」と言いますが、あれは私にとって非常に不本意かつ合意できるとは思われない性関係の強要であり、不快であり、やめといてもらいたいもんだとしょっちゅう思います。でも、不快だからといって、法律規制するのは無理です。ある程度は耐えねばならんのです。でも声をあげることはできます。議論することもできます。世の中は少しずつだけど変わります。

電車の中でエロいイラストや写真のある新聞を広げてる男、というのを考えてみましょう。ちなみに、私にとってそういう男はたいへん不快です。電車内で化粧してる女性より不快です。でも、最近は、私の印象ですが・・・電車内でエロい新聞を広げる男が減ってきたように思います。なんで減ったのかよくわからんのですが、フェミニストたちが「公然と女性のヌードを見せられるのは不快だ」とがんばって言い続けたことと無関係ではなかろうと思います。見たくないもんは見たくないし、いやなもんはいやなのですから、いやならいやと言いましょう。きちんとまともに理論立てて言えば、耳を貸す人は必ずいます。そうやって議論をすりあわせるしか方法はない、と私は思ってます。
スレッドへ