多様化する倫理観[682]
2005 05/21 23:55
佐々宝砂

表現する者の責任論になるかなーと思ってたら、やっぱりなりましたね。表現者に責任があるのは当たり前ですが、今は、それだけをうんぬんしても仕方ない時代です。

私も原口さんと同じく表明しておく必要がありそうですね、私は、表現規制に反対です。理由はたくさんあるので一口では言えませんが、とりあえず、パブリックな、そして最大の理由を書いておきます(個人的な理由を書くと怒られそうだし)。私が表現規制に反対なのは、表現規制が無意味だと思うからです。たとえば、一国が規制しても、海外にサーバがおけるので、無駄です。これはすでに書きました。

フィルタリングソフトも、ある意味では無意味です。多少なりとも詩を書く人間ならわかると思うのですが、エロティックな単語を全く使用しなくてもエロティックな描写は可能です。きっつい言葉狩りがあったとしても、非道な内容を書くことができます。優しい易しい絵本にでもでてきそうな言葉だけで、幼児虐待を描写することもできます。はっきり言っちゃうと、やっていいかどうかはさておき、そういうことができるのが詩人でしょ、と私は思うのですが、それもさておき。

システム上でひどい内容を排除できるとしても、やっぱり無意味です。安全きわまりない内容と思えるものを危険なものに置き換えることが可能だろう、と考えられるからです。これは戦中の話ですが(『かわうその祭り』という小説に出てきた話なのでホントがとうかはわかりませんが)、検閲を通すために伏せ字だらけにしたエロ本を、もとのエロ本に戻すための正誤表というものがあったそうです。これをパソコンとネットの今の時代に置き換えて考えたら、「安全なものを危険なものに置き換える」ことがいかに簡単であるか想像がつくでしょう。変換ソフトひとつあればすむことです。テキストエディタの検索変換機能を使ってもできそうです。

じゃあどうしたらいいのか、と言われても私にはわかりません。みんなで考えてゆくしかないです。ひとつ言えるのは、表現を享受する自由にも責任は伴うのだろう、ということです。でもって性犯罪に対処する方法は、すでに山田せばすちゃんが書いてますけど、個々人の自己防衛しかないでしょう。

0:05つけくわえ
性犯罪に対して行政ができることは、もっとたくさんあります。上に書いたのは、個人にできることは自己防衛くらいしかなかろう、という意味です。
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