多様化する倫理観[644]
2005 05/19 22:29
山田せばすちゃん

すべての問いかけが自分に向けられてると思ってるのかね(苦笑)
出てくると調子が狂うとまでいわれてまだここにい続けようとするのは執念というものですか。

独り言はさておき、レスアンカーをきちんとつけないとまたもや自意識過剰の方からとんちんかんな逆質問が返ってくるので、>>632に。
質問そのものにはもちろんあんまり意味がないです。あなたが個人的にどこまでなら我慢できるのか、についてはあんまり興味はありません。むしろ、犠牲ということばを「まで」という程度の問題の次元で語ってもあまり意味はないよ、ということをいいたかっただけのことです。
先人も何かを犠牲にして自由を勝ち取ったのですから、子供が犠牲になることが、たとえあったとしても、表現の自由は守られるべきだと俺は考えています。犠牲者ががわが子であっても、個人的な感情はともかくとして、公的には表現の自由は尊重されるべきであるという立場を変える事はありません。
それから、議論の対象であるところの表現の「自由」をわざわざ「野放し」と書きかえる事で何らかの負のイメージを負わせようとするような、そういう姑息で瑣末な政治的なやり方はやめましょう。
俺の考える対策については、前にも>>105だとかhttp://po-m.com/forum/threadshow.php?did=35676&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D100%26from%3Dthreadshow.phpの18だとかで表明してるのでそちらを参照してください
>>それは本人にしかわからない。(もしかしたら本人にもわからないのかもしれない)>>だが、徹底的な規制によって、少なくても嗜好者の絶対数を減らすことはできるはずだ。
「だが」で論理が飛躍しています。
「はずだ。」という言葉で締めくくれば飛躍が可能ならば
徹底的な規制によって、児童ポルノが地下に潜伏し、更なる一部の熱狂的な愛好者を生み出すことで惨劇はエスカレートしていく「はずだ。」
と締めたっていいことになりますよ。
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