多様化する倫理観[303]
2005 04/25 17:16
不老産兄弟

原口昇平さん

まず、僕の説明不足で、誤解を与えてしまったことをお詫びします。

>>202
僕は、吉祥寺さんのこの書き込みを始めとする、一連の「妄想の危険性」についての訴えを受け、「妄想は本当に危険なものとなりうるか」について考えてみました。これは、18歳以上、未満関係なく、妄想がどういった場合に危険となり得るかについての考察です。

そこで、僕は、間違った現実の認識が、あるコミュニティーの中の「常識」としてまかり通っている場合に、それを一般社会に当てはめてしまうことが危険であると考えました。その例えとして、レイプ行為のファンタジーを提供するサイトの中では、現実において、あたかも割りと多くの女性がレイプ行為を期待していると思わせるような記述が少なくないことを挙げました。こういった「間違った認識」は、本来は「妄想」として扱われるべきなのですが、こういったサイトの中の情報だけに浸ってしまうことで、これを「常識」として捉えてしまう危険性があるのではないかというのが僕の考えです。

さらに、レイプ行為のファンタジーについて語る場は実社会には少ないため、こういったサイトに依存している人も少なくないと思いました。そのためこういったコミュニティーは閉鎖的なものとなり、実社会との間に大きな隔たりが生じてしまいかねません。同じ嗜好を持つもの同士でのコミュニケーションですから、もちろんその内部では、レイプ行為の凶悪性が多く語られることはないでしょうし、そういったサイトの掲示板に書き込まれる内容のなかには、事実かどうかは別として、実際にレイプ願望のある女性の書き込みも見られるわけです。これらの事実によって外界との現実認識に食い違いが出てくることを結論付けました。ここでの例えが>>283で用いた、暴力の存在する家庭環境です。

原口さんがおっしゃるように、「抵抗力」すなわち子供成長する過程での現実と妄想を区別する力はある程度見についていくのは事実です。しかし、たとえある程度の抵抗力をもった大人であっても、この実社会と隔たった空間にどっぷりと浸かってしまうことで、その現実感が知らず知らずのうちに歪んでしまう可能性があるのではないかと考えました。これは原口さんが>>289の中で用いていらっしゃるように、抵抗力のある大人であっても、宗教等、以前は信じていなかったものを信じるようになる可能性はありうるからです。

僕がここで主張したかったのは、「正確な現実の認識を持ちつづけること」で、上の例においては、「レイプの被害にあった女性の多くが、実際にその犯罪行為をどのように捉えているのか」と言った事実を、特定のコミュニティーの内外問わず、しっかりと認識しておくべきではないかということです。

「妄想」ということばについて、誤解を招くような書き方をしたことは、大変申し訳なく思います。僕の今までの論旨はこういったところです。もしもまだ疑問点などありましたら、私信、またはこちらに書き込んでいただければと思います。
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