多様化する倫理観[283]
2005 04/24 08:31
不老産兄弟

>>260
原口昇平さん
>ですが一般的に、社会的人間なら、一定の年齢をすぎれば「あれはつくりものなんだ」というような、フィクションと現実とを区別する意識を持つものでしょう。たとえば、修行を頑張れば「かめはめ波」が出せるようになると思い込んで修行にはげみはじめた子どもは、やがて成長して、けれどいつまでたってもかめはめ波が出せなかったり、友達に馬鹿にされたりして、あああれはうそだったんだ、と遅かれ早かれ気づくことになりますよね。そのような経験の積み重ねることで、子どもはやがてある年齢に達すると自分なりに妄想と現実とを区別していくことのできるある種の抵抗力を身につけるのではありませんか。

確かに子供が成長していく過程において、かめはめ波が出せるという認識は正されていくだろうと思います。これはおっしゃるとおり、友達、家族等、周囲の環境との接触だけでなく、本人がいつまでたってもかめはめ波が出せないという絶対的な事実に基づいています。こういった現実をありのままに認識することは比較的容易なのでしょうが、もしもこれが相対的な事実から、判断を導こうとする場合はやや話が違ってくるように思います。例えば、暴力が日常茶飯事に行われているような家庭に育った子供は、周りの家庭も同じように暴力が起こっているのだと考えてしまう危険性はあるのではないでしょうか。また、他の家庭の内部の状況を見て客観的に判断することは非常に困難なため、自分の家庭に起こっている暴力の深刻さに気付くのは容易ではないように思います。
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