多様化する倫理観[161]
2005 04/22 23:34
043BLUE

妄想→犯行のプロセスに関する個人的な考え:

  ぼくは、異常者ではないと思うが、たまに脳内で「あいつ殺してやろうか」とか、思ってしまいます。そういうことを考えることは道徳に反していると自分でも分かっています。だから、実行には移しません。でも、きっとそのことを繰り返しイメージし、また極度の外的なストレスなどが加わると、理性が失われ実行に移してしまわないとは100%は言い切れません。犯罪者の大多数は、それまではごく普通に生活していた人です。そして、犯行を何度も頭の中でシュミレーションし、外的要因も加わってついに行動に移してしまったというケースが多い。

  脳内児童ポルノは自由で、当然脳内を規制することなど誰もできません。でも、そのような表現を繰り返し見、常に脳内でイメージしていることが無害であるとは思えません。理性を保てる時は、コントロールできるかもしれないが、外的要因が加わるとそれを実行してしまう可能性は高くなると思う。

  車好きの人はカタログやミニカーを持っているだけでは満足できない、カタログや雑誌、ビデオを繰り返し見ていると「本物」が欲しくてたまらなくなってくる。TVCM・広告もそうだ、繰り返し見ていると潜在意識の中に取り込まれて欲しくなってしまう。この原理は証明済みだ。児童ポルノを見ていると必ず「本物」が欲しくなるだろう。恐いのは理性の「タガ」が外れた時だ。そんな、頼りない人間の「理性」頼みの、「爆弾を抱えた人間」を製造し続けつづけているのは、「安全装置付」の「爆弾」を製造して町中にばらまくように思える。 

  殺人・児童ポルノを空想するのを止めることはできないかもしれないが、よりリアルに空想したり、シュミレーションするのを助ける商品を販売したり、「表現の自由」という名の隠れ蓑を与えることの功罪は大きいと思います。こうしている間にも、いろんな犯罪の予備軍が「表現の自由」という名の裏側でどんどん増殖している気がしてなりません。全くの私見です。sage
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