好きなフレーズ その2[174]
2005 08/07 11:26
汰介

>>172

># ムラヴィンスキーと仲が悪くなったのは、
># 13番の初演要請を断られたのが原因という説もあります。

あ、そうなんですか。
自分が聞いた話では、最終楽章は「強制された歓喜」の筈なのに、
ムラヴィンスキーが、闇から光への様な楽観的(本当にそう捉えていたのかは疑問ですし、そこを踏まえた上でその解釈の仕方が政治的に不味かったのか、これは私の間違って伝わったとんちんかんな話なのか良く分からないんですけど・・・)な解釈をした事で、
どこをどう聞いたらそうなるんだ?見たいな感じでショスタコーヴィッチが怒った、
と言う風に自分の記憶では覚えているんですが、全然違うのですかね?
それとも色々な解釈があるのですか?
まあ、この頃のソ連は本当の事なんか言い辛かったでしょうし、決定的な事実は出にくいんでしょうかね。

># 5番の解釈。最終楽章の初めと終わりのテンポの事ですね?。
># 数年前、ショスタコーヴィチの写真展が京都であり、
># そこで自記筆の楽譜を見ることが出来ました。
># かなりの悪筆と早書きで・・・。
># あれでは5番のミスプリント説も説得力があると思いました。(笑)

それはうらやましいですね。
ただ、作曲家生命以前に、人間としての命が危ないであろう時期に、
平静を保てるか?と言われるとキツイと思いますね。筆も荒れますって。
5番なんて、そもそもショスタコーヴィッチの本来の路線じゃないと思いますね。
適当に言ってますが。無理矢理泥臭い路線にさせられたと言う方が合ってるような気もします。労働とか、努力、根性、忍耐とか、あの写真を普通に見て合ってないです。
それを知性で乗り切った感はありますね。
7番も創作時期は異様に短かったですしね。因みに7番は3楽章が好きですね。
で、その溜まったウップンはきっちり交響曲9番で晴らしているようですけど(笑)
なにせ「人民の敵」らしいですから(爆)

まあ、私としては多分時勢とかをあまり認識して無さそうな雰囲気の漂う、プロコフィエフの陽性っぷりの方が好きですけど。
いまの時代でクラシックで政治的に警鐘を鳴らすような音楽作っても多分よっぽど工夫しないと対して面白くないと思いますね(ま、そりゃそうでしょうね、クラシックと言う言葉自体保守的匂いがぷんぷんですし)
ま、大真面目に考えれば考えるほど空中分解しそうですし、
段々生活自体から言葉自体が遊離していくのも問題だとは思いますね。
真面目に考えられた事が逆に喧嘩を引き起こすと言う(笑)。
平和を訴えて結局喧嘩起こしてりゃ世話ないですし。
そりゃ全体の平和でなくて自分の身の回りの平和だろって。
――そんなこと言って本当はゴシップ痴話喧嘩大好きなんでしょ?と囁いてみたくなりますねw

ネットはそう言う研究学問的な事、と経験的実際的な地面に種をまく様な事が混在していますし、私もそれを混ぜ混ぜしてますけど。
内面的世界と外面的世界がごっちゃになっていて、結構戸惑いますね。
だから、誤解のないように言葉を尽くすんですが、
もう途中でどうでも良くなりますし、実際に目の前に見ることしか結局は信じませんね。
見えない精神とかを信じない訳ではないですが、こうやって椅子に座っているこの現実よりは弱いですね。精神の内的世界も個人の環境(ストレスや理想)等によって強調された、表現っぽいですし。
後、その背景が見えない言葉は正直戸惑いますね。
同じ言葉でもその言葉の器に暗黙にのせているものが個々人で違うから、
これもマジ困りますね。困りませんか?
突然俺私理論で切りつけられてもどうすりゃいいんだ?と言う感じですね。
それを大真面目なにか真意があるに違いないと内面追求してたら、実際私がそう言う俺様理論みたくなっちゃいましたし。
1対世界の如し。

話が寄り道、取り留めなしですね。すみませーん。
いや、ここまで来るのに私の内面もみくちゃですね(爆)。
もみくちゃ慣れですね。感謝感激雨あられです。

と言うか、ショスタコーヴィッチはもっと詳しい人いると思いますよ。実際私も詳しい人から、
なんとなしに聞いた話ですし。

sage
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