ぼやき・愚痴・嘆きの野原[67]
2016 09/06 08:51
るるりら

一度は削除した理由は、ベルさんの感じておられた違和感を 
私自身も感じたからではありますが、
でも 実は 石村さんの文章と無関係では無いです。
わたしは 河原での石積みをする人々の姿をみながら
石村さんの文章>>58を 想っていました。

心というものは とらえるのが難しいので、ガラスに置き換えてみます。
ゆがんだガラス壊れかけのガラス、汚れたガラスや 特殊加工がほどこされたガラスを通すと、実像はつかみにくくなります。ノーマルのガラスでないと 実像はつかめないです。

わたしの心は 汚れているかどうかが 正直いうと わからないです。
とりあえず、なにを美しいと感じているかは 分かります。
自然にとけこもうとしてなのか石積みをしている人を見て、私は 美しいと感じました。
バランスを探る姿は、大地と天を結ぶ糸をみようとしているような感じもしました。
石を直立させようとしている人の心は 立っているとも、感じました。
そのような人の存在する風景は、美しいと 思いました。
どんなに美しい風景であったとしても はたまたどんなに殺風景で退廃的な景色であったとしても
アンテナの立っている人の存在する場所(石を積む人のいる景色など)のことを、わたしは きっと美しいと思ってきたはず。

人は 人をとおして 風景にたいして良い感情をもったり その逆である良くない感情を持つようなところもあると思うのです。
わたしの心は、ゆがんでいるかどうかわかりません。汚れているかもしれない。。
でも、大自然の中で アンテナの立っている人の存在する場所(石を積む人のいる景色など)のことを、わたしは 美しいと感じた。心から美しいと思える風景の中でみた人の姿を想起すれば、自分のアンテナの立て方だけはきっと 思い出せる気がしています。
ぜひ 詩人のみなさんにも 綺麗な風景を実際に 探して体現してほしいです。

わたしの場合は 昨日よりも すこしだけ、醜い 色々なものとも戦えるような気が
しはじめています。 
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