ぼやき・愚痴・嘆きの野原[281]
2017 02/01 09:07
るるりら

おはようございます。

わたしが投稿欄に 例の記事を投稿した目的は、
参加者ひとりひとりの責任を それぞれが持てるように したかったからです。
参加者のみなさんは、おひとりおひとりみな違う目的で投稿しておられると思います。

280によると、蛾兆ボルカさんは、【詩を書くのが上手なひと】であることを、一人でも多くのひとに理解して欲しいという目的をもって活動しておられる。

ほかの方は、たったひとりでもいいから、ご自身の書いた作品を読んでほしいとおもって活動しておられるのかもしれない。
また、別の人は、だれにも読まれなくても書きたいから 書いておられるのかもしれない。
それぞれの目的が 阻害されれば、当然のことながら 残念に 感じるはずです。

わたしが投稿欄に 例の記事を投稿した動機は、
蛾兆さんに、私と水菜さんとは別人であることを理解していただけてなかった時期に、
蛾兆さんが私におっしゃった事柄が動機です。

水菜さんと蛾兆さんとは お互いに関わりあわない約束をしているから、今後問題がおこることはないという意味の説明をしていただきました。
そして、もしも 水菜さんが蛾兆さんにとってご都合の悪いことをしかけた場合は、
わたしと水菜さんが同一人物であることを 公言すると おっしやったからです。

江戸時代の五人組制度みたいだと私は 感じました。
二人のうちのだれかに問題行動があれば、二人が罰せられるとことが未来に起こることを、私はさけたかった。

あの記事をアップした時点の私は、
わたしに原因があるとは 思っていませんでした。
でも、蓋をあけてみたら 五か六年くらい前の私の発言が元でした。
五年という歳月は長いです。
この間に わたしより年下の私にとって大切な人も複数 死んでいます。
私の地域が水害になって、私自身が まじで死んでいたかもしれないと思えることもありました。
原因が私にあったのですが、そのことが 今回はっきりしたのは、わたしが たまたま生きているからです。

それぞれの投稿者は、それぞれの人生があります。同一人物でないことは、どんな実害が生じても 今、明らかにすべきであったと 今の今も 思っています。

どのような方が どのような理由で だれを憎み だれのどの作品に感動するかは、それぞれですが、 
そもそも それぞれであることが明確でないなら、ほんとうに始末におえないと私は いまも思っています。
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