バトル・リング[48]
2005 01/13 19:08
佐々宝砂

私は、信頼のない関係でも批評をやってよいと考えております。この点についてはぬさま(沼谷香澄さまの愛称である)とは真っ向から対立に見えます、しかし、この点ではケンカする気ない。私は「覚悟ができてる同士なら信頼関係皆無でも批評OK」と思っています。でないと全く無名な批評屋は、作者と知人にならない限りデビューできません。

それとこれとはさておいて、兎の毒氏の退会には私も思い切り関わっております。私は、兎の毒氏に対するぬさまの文章を、「批評」であると思いました。評価でも、感想でもなく、自らが短歌を書く者としての覚悟をきちんと持った上での、「短歌とは何か?」という恐ろしい疑問を孕んだ批評であったと思います。

「無限の応答責任があることを受け入れない他者、その重さに耐えられない他者」(藤生京子/2005.1.11朝日新聞夕刊12面「ネオ・エチカ」より)というのがあるわけでして、誰がそのような存在であるか、の判断はものすごく難しいと私は思うわけです。簡単に言うと、誰に覚悟が出来てて、誰に出来てないか、こっち(ひひょーする側)としては全然わからんわけ。しかし、少なくとも「未詩・独白」に投稿された作品は覚悟が出来てないので、それがどんなにツッコミどころ満載の作品でも、ほっとくのがここのルール。だと私は思っております。このルールはわかりよいので、私は好きです。

しかしひひょーしていいのか悪いのかわかりよくない存在(あえていうが「作品」ではなく「存在」)もありまして、私は非常にその存在とケンカしたいのですが、向こうが買いたがらないと明確に判断できたので、ケンカを売ることができません。もっとも、「明確に判断できた」のは私にとって、とてもありがたいことでした。

覚悟が持てないのに大きな顔してる存在を蹴飛ばしたくなる気分はよくわかりますが、私だって我慢しているのです。覚悟が持てない他者(弱者ともいいます)をぶっ叩くのはなるべくやめましょう。>ikaikaさん
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