2014 08/01 23:52
渡邉建志
実相寺昭雄の「波の盆」。
https://www.youtube.com/watch?v=PcXsFwfGmn8
ラストシーンのあまりの神々しさ。/涙を流す演技を嫌い、もらい泣きをすることは基本的にない私だけれど、ラストの近く笠智衆の涙だけは、ほんとうに尊敬する/あの長大な、武満徹全集のなかで間違いなくいちばん美しいメロディ。いったいこの曲のなにがそんなに涙を誘うものなのかずっと考えていたのだけれど、結局、彼がなぜ彼の人生でいちばん美しいメロディを書こうとしたかの原典に当たらない訳にはいかないと思い、横浜放送ライブラリーへ見に行った。そこで恥ずかしいほどに泣いたのだけれど、それはほぼ、映像の力ではない(斜めで撮られる遠景、クローズアップの多様、不要なお色気シーン)。笠智衆と武満徹だ/あの美しいメロディが、尻切れとんぼのように終わってしまう理由を不思議に思っていたのだけれど、このドラマのオープニングをみていて、その尻切れとんぼ感をちっとも感じなかった/わたしは、武満が戦争に対して、わかりやすい政治的な立場を取ることではなく、もっと愛に近い場所で戦争のことを考えていたように思っていて、この映画の、ハワイ移民二世である中井貴一が、愛するハワイを守るために、そのつぎにハワイの日本人を守るために、「アメリカ人として」アメリカ軍に入り、そのために苦悩と後悔を味わうというような、単純な声明では語れない複雑な立場に対してこそこの曲を書いたのだということをひたすらにひたすらに思った。笠智衆が冒頭で、「話すことはtoo muchありますが、Yeah」などと、海辺の廃屋で話したのちに流れ始めたあの豊潤な旋律の、なんという美しさ。やはりこれはタジキスタンのロシア人という主題(ソクーロフ「精神の声」でもう一度この曲は映画全編で流れ続ける、それが武満の死の前年のことなので、武満は了解していたはずであり、実際、彼らのための挽歌のようだった)ではなくハワイの日本人という主題のために書かれた旋律なのかと思った。しかし、それがタジクのロシア人のなかに流れるとき、オリジナルと違わぬほど美しい理由は、戦争だけはなにがあっても起こしてはならない、という彼の強いメッセージが、彼が彼の、ともすればあまり豊かではないとする人さえいる、持ちうる限りのメロディ力を振り絞り、そのうえ余り有るかれのコード力を十全に発揮してこれが作られたという、その「唯一さ」を、なぜこのドラマだけのために割いたのかという地点にこそ、答えがあるようにも思う。解決のしようのない、戦争のなかにおかれた在米日本人を、テーマにし、それに寄り添うしかできないが寄り添うことができる音楽を書いた、ということ/映画音楽は引き算、とは武満の名言だが、たしかこの音楽は映像に勝ち過ぎているかもしれない。ジム・ジャームッシュが後の「系図」のテーマを映画音楽として却下した理由は、まさにそこ(「音楽が映像に勝ってしまう」)だったわけだけれど、すくなくともこのドラマにおいてはその勝ちっぷりは失敗ではない。もとより映像と音楽の格が違うと思われ、音楽が主題を掬い上げている。そこに互角に佇んでいた笠智衆。