映画館ポエム座[2]
2004 12/22 23:12
白糸雅樹

 先日、初めて羽田空港に行った。飛行機(まだ離陸していない)の窓から見える芝生を見ていたら、『誰も知らない』の場面が甦ってきて涙がこぼれた。

 『誰も知らない』に出てきた空港が羽田なのか成田なのかはしらない。しかし、無意味な(いや、安全のためには必要なんだろけどさ)だだっぴろさが、なんだか人間を排除しているようで、でもだからこそうまくしのびこんでしまえば他人に踏み込まれない安全さを持っているようで、それが映画の印象にオーバーラップしたのだ。

 『誰も知らない』の母親の、無邪気なざんこくさが印象的だった。けっして悪意でこどもたちに対しているのではなく、むしろ、こどもたちと対等にふるまっているのではないか、こどもと対等になるというのはけっして良いことではないのではないか、などと考えた。

 マニュキアの赤、長女がためているお年玉の袋の束、アポロチョコレート、コンビニの若い店員、切れてしまった電話の後で送られてきた現金書留、中学生の少女の家の門構え、カップラーメンの空きカップに植えられた緑、など語り尽くせないほどの印象が残る映画だった。
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