2012 07/17 12:51
ツ
(ぼくは脳科学の基礎研究はまったく否定しないけれど、いわゆる記憶の貯蔵理論みたいなヤツとかほとんど信用してないんですよね。
これってたぶんペンフィールドさんてひとの有名な(?)てんかん実験あたりまで遡れそーなきがするけど、、よーするに、記憶は脳のどっか特定の場所にストックされていて、それをググるプロセスが存在するはずだ、みたいなヤツ。
もしそーだとして、じゃあ仮に君の脳や心のどっかに君の友人や家族のイメージがストックされているのだとして、
ソレはいったいどんな画像なのか、またソレは、いつ、どこで、何をしている姿なのか、、
といったもろもろの問いにはとうてい答えられそーにないし、想起の問題、えとつまりきおくの文脈性についても答えていないんだよね。
いろいろ端折るけど、独り言しろなんにしろ、文脈てのはある。むしろ逆に、まったく何ものからも独立した記憶とか思考、てゆーものは口では簡単に言えるものの、じつはこれはそう簡単に言えるほど明瞭なシロモノじゃない。
でだ、ぼくのこれはもちろん独り言だ。
この独り言は現代詩フォーラムの誰のカキコミにも目もくれず、、とーぜん、目は極限まで細めて(笑福亭鶴瓶、笑瓶並かそれ以上に)?廃人がポツリとつぶやく部屋?の前後のカキコミなんて一も字たりとも視界に入れずに、、そのよーにしながら窓の外を眺めて想起した事柄をココに記述しているかもしれないし、音楽を聞きながらあえてこのある特定の場所を選択してポチポチしているのかもしれない。。
あるいは本当にあらゆるものごとから独立して思考(何もない宇宙の中心で脳だけの生物は思考可能か?)しているのかもしれない。。
とまぁ、想起を、書くことを?支え?ているものごとについて思いを巡らせてみるのもたまにはいいかもしれませんね。
ひとりごと。)