2011 03/22 01:59
いとう
いた場所。
神奈川県横浜市中区。JR関内駅近くの居酒屋。地下1階。
知ってる人は知ってるけど、
今は居酒屋の店長やってます。
で、その時間、ちょうどランチも終わってそろそろディナーの準備をする頃で、
俺と料理長とランチのバイトの子が2人、4人か。たぶん。いました。
最初に揺れたときに横揺れから入ったので、
想像以上にかなり揺れはしたけど、
直下型ではないと思って結構冷静だった。
バイトの子の一人がすごく取り乱してたので、
「大丈夫だよ」と言いながら食器棚をずっと押さえてた。
あたふたしてる人には役割を与えるのが有効だと、
経験上知っていたので、
その子にも一緒に押さえてもらった。
皿が数枚割れた程度で済んだ。
揺れがおさまった後、震源地が知りたくて携帯でFMラジオを聴く。
が、情報なし。親しい人たちと連絡を取ろうとするが、
もちろん通話もメールも不能。
携帯からネットにつなげて、震源地が東北であることを知る。
関東で震度5、東北で震度7なのを把握。
ビルのブレーカーが落ちてたので、
まずはそこの回復から始める。
幸いなことに、その他被害はそれほどでもない。
30分後くらいに地区長(店長より上の人)が来る。
(いろいろ割愛)
結局そのまま営業することに。
ディナーのバイトの子たちとは、
連絡取れたり取れなかったり。
駆けつけてくれる子たちもいる。
来れなかった子もいる。
交通手段はほぼシャットアウトされてたので、
帰宅難民が街に溢れてるようで、その人たち相手に商売する。
上からいろいろ指示が飛び交う。が、もちろん錯綜している。
非常時なので朝まで店を開放しよう、というのもあれば、
こういう状況なので早く閉めて帰れる人は帰りなさいとか、
まーいろいろ。
とりあえずうちの店は閉めて帰ることに。
21時くらいになんとなくメールが復旧し始める。
安否の確認を各所に送って、妻(だけじゃないけど)の無事も、
このあたりで確認。
店を閉められたのが0時くらい。
JRは止まってたけど私営は復旧してたので、
乗り継いで家に帰る。午前2時。下北沢。
家の中も思ったより破損がなかった。
とりあえず次の日の仕事に備えて寝る。そういう一日だった。