詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part1[874]
2011 04/18 16:03
……とある蛙

虹の喜劇(飯島耕一)を読んだときのMEMO

痔の手術→ケツの治療→ウツ状態の再発(友人の死亡なども重なり)
そこからの脱出が主題の詩集です。

ウツ状態でありながら駄洒落の連発
行変えした散文でしかない(笑)

ある意味前衛的

この詩集の一連の詩は発表当初から批判的な批評? もあったようです。結論を先に言えば、おもしろい詩集でした。一気に読めました。また、悪戦苦闘しながらのウツ状態からの脱出の経過が大変興味深く読み取れました。当然 書いた時分のトピックや日記的な記述、本人の気分、思い出が錯綜して出てきます。

本を読めなくなった時の詩に対する考え、まさに現代詩に対する疑問がなんとなく書かれていておもしろかったです。

また、
「精神の建築家たちも いまのように 傲慢では なかった。……そう 傲慢では なかった。」

 ※はじめてランボーを原書で読んだ貧しい時を思い出して

著者の飯島耕一はかつては大岡信などとシュールレアリスム詩の研究実践をしていた著名な詩人です。
 1980年代後半項からは変わってきたようです。
ところが定型論争を仕掛けていたり、口語自由詩のありかたに対する一つの疑問をもっているようです。

※私は彼の定型論争という彼の本(一種の書簡集ですが)を以前読んでいます。→結論は納得できませんでしたが、問題としては興味深く感じました。

この詩集は著者の記憶に残る事実を辿る事によって、自分の立ち位置を確認している作品のように思えました。とくに「わが<戦後>史」という詩は著者の履歴と考え方の変遷を読ませてくれます。

詩に偏見をもっている人あるいは傲慢な人には詩ではないと批判する人もいるかも知れませんが、私にはおもしろく読めた詩集でした。


合評会前哨戦(笑)。
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