03/03 08:25
深水遊脚
感想、批評などで何かを引用しながら書くことがあり、そのたびにどこまで引用するか、あるいは引用元の作品についての記述をどの程度にするか、ということについて迷います。私が無意識にしていたのは、その作品と自分がどう向き合ったかを示すことだった気がします。それが見えないような文章も正直にいえば書くこともありました。でもそんなときは、何でこれを書いてしまったんだろうと、後ろめたい気分になります。
(追記)
あとは引用元の作品について、自分の文章を読んだ人があとでその作品と向き合うときの楽しみを少しでも残しておこうと気にかけてはいます。書きすぎてはいけない。書くなら自分が向き合う様子のほうに言葉を費やそう。そう考えます。
レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』のなかの「ギムレットには早すぎる」というセリフが、あるカクテルブックでは、フィリップ・マーロウが言ったことになっていました。これは多分無知でも知ったかぶりでもなく、『長いお別れ』を読む楽しみを未読のひとから奪わないためのウソなのだと、勝手に思っています。