2011 01/18 22:58
クローバー
こんばんは、えーと、難しいですね。
>sadame3さん
僕は、人間の思考なんて、順繰りに授かったものでしかないと、思っているのです。
極論ですが、僕達が思考するにあたり用いているのが、日本語ですよね。
これは両親や周囲の人々から、習い覚えたものです。
思考の方法、これも同じように幼い頃周囲にいた人々を見て、習い覚えたものでしかないと思うんです。
これを(意識せずとも)用いている以上、思考、知性なんてものは、授かり物でしかない。
自分を形成する知識、知性、あるいは行動パターンにいたるまで、貰ってきたものではないか、僕は、そう思うのです。
そう思ってしまう、僕は、まぁ、その貰い物の思考パターンで、借り物の言葉を使い、自分の考えだと思いこんでいることを、書くしかないんですけれど、ね。
もし、詩を書くことが、知性の最も高い所だとお思いになられていて、自らの中から溢れた物を書き留めていくことが、至高であり知性のあるところだ、とお考えでしたら、その通りだと思います。
しかし、その場合は、上のように授かった物、と考えているため、僕が信じている「知性」の言葉の意味とは若干ニュアンスが異なります。
僕は(書き文字の会話で)曖昧な言葉が出てくると、辞書を引きます。
辞書を用いるのは、その言葉の一般的に通用する意味を、把握しないといけないと思うからです。
僕の頭の中にある言葉、そして、誰か他の方の頭の中にある言葉、それらが同じニュアンスで使われているかどうか、甚だ疑問で、そこのズレが大きすぎると、(特に書き文字では)誤解が発生してしまう事になりかねません。
僕が辞書を引くのは、ほとんどの場合、それを恐れているからです。
(今回は「知性」の意味が漠然としていたので、とっかかり、として書きました。とりあえず、そこから考える、ということです。)
自分の中から溢れる物が知性
他人の言葉を詰め込んだ物は知識
には、なるほどなーと、思いました。ちょっと前に、他人のネットの作品を写して、賞を貰っちゃった人がいましたね。こういういい作品があるんですよ、って紹介だったら、こんなのよく知ってたね、って誉められたかもしれないのに。自分の物にしちゃ、ダメですね。この件に関しては、その人は、知識はあっても知性がない、って言われてしまいますね。