2011 01/17 09:57
クローバー
:-)さん、こんにちは。
せっかくなので、もうしばらく考えてみることにしました。
僕はあえて、辞書で引かなかった、〜性、という言葉にもう一つ考えるところがあると思っています。
「(造語)〜性:1性質。2その程度までそうであるかという性質。」
知、を含む性質。
以前、めがね男子、が、流行りましたね。眼鏡という物に、知性を感じ、魅力的に見える。目を悪くするほどこの人は、勉学に励んだのだろう、という、無意識の想像に、知性を見たのだろうと思います。
それは、外見上であるので、「知」そのものではないようです。
実際には知性を感じられないような日常があったとしても、見た目の良い青年に、眼鏡をかけさせれば良いのですから。
では、知を含まない性質とは、どういうものか、と考えてみます。
例えば、料理をする、ナイフを使う、箸を使う、テーブルマナーを守る、ゆっくり味わう、は、知性が必要でしょう。
でも、租借し飲み込むことは、健康であれば、覚えなくても考えなくてもできるような気がします。
そういった自動的に行われることは、いくつかあって、食べる、寝る、排泄するなどの動物としての、欲求がわかりやすいんじゃないかと思います。生きていくためのしかたのない欲求には、知という性質は含まれないのではないか、と思うのです。
毎日繰り返すことによって、脳がパターンを作り、意識しないで行動できるようになってしまう自動的に行われること、:-)さんの書いておられた、改札の例えもそうですね、そういったことにも、知性はあまり含まれないように思います。
なにが言いたかったのか、自分でもわからなくなってきていますが、知性、は性質である以上、知、そのものじゃなくていい。そのため、眼鏡とか白衣とか、そういった物質(の背後に見える無意識の想像)にも宿るみたいだよ。
ということと、排泄することは知性が無くてもできるが、排泄を我慢することは、知性がないとできないんじゃないかな、ということのようです。もちろんこれには、健康、健常であることが前提としてありますが。
例えが、ちょっと下品だったかもしれませんね(苦笑)