2010 12/14 14:53
……とある蛙
詩の朗読に関しての思いつきなのですが(つまり、何の検討もしていないことなのですが)、ひとつ述べます。
詩は黙読するものであるとしか頭の働かない人(THATS IS GENDAI-SHI) つまり、ある種の特殊な人たちを除き、詩に朗読はつきものです。
詩の朗読について すべて、読み手の感性に委ねて当然よいのですが、そこには自ずと拍子も速度もあり、かつ、言葉の重さによる強弱もあると思います。よく内在的リズムと言いますが、もっと意識的にリズムを考えれば、言葉の外に何らかのアクセント記号をつけてはまずいのでしょうか? 特に朗読することを前提とした詩を書くのであれば、テーマによってはAccelerando (アッチェレランド)するような詩や、Ritardando (リタルダント) するような詩を書くこともあろうから、本文の外に、速度記号をつけなければならないとも考えられます。
そうでなければ作者の考えている本来の詩の朗読の味わいがでないかも知れません。
欧米などでは言葉自体に弱拍強拍があって、また脚韻など数を含めて決まりがあるためあまり問題にならないようですが、日本の口語自由詩では読み方の指定がむしろ必要ではないかとも考えられます。
こういう考え方は目一杯音楽的なのでおかしいのでしょうか?