2010 08/24 23:11
田代深子
夏目漱石『こゝろ』読書感想文
都内某高校の国語教員である友人Nは常々、『こゝろ』を高校の現代文教科書に掲載することに疑問を感じている。友人Nによると、教科書の抜粋を読んで「Kは先生よりも美形で頭脳も人間性も優れており、お嬢さんが本当に好きなのはKだ」と見なす生徒が相当多いらしい。Kは完璧で悲劇的な被害者、先生はKに嫉妬する卑劣な加害者と色分けされ、構造の単純化が行われる。友人Nはまじめな教員なので、見所のある生徒に対しては小説全体の読み直しを命じ、聞きなおす。「Kは、なんで死んだと思う?」なんと恐ろしい。彼女が教え子に読みとらせようとするのは、人間は、ほかの誰のせいでなく、それぞれの心ひとつで、孤独と死に至るということだ。
『こゝろ』は3部構成で、1・2部は、先生が後年に出会う若い書生が、先生との関わりを一人称で回想する形式になっている。読者はあらかじめ、先生がKの死後に罪悪感を抱き続け、出世を求めずひっそり暮らしていること、人間に根元的不信感を抱きながらも、友愛を捨てることのできない《いたましい》人物であることを知っている。だから3部の、先生自身による自己卑下に偏った書き方を読んでも鵜呑みにはしない。だが教科書にある3部の抜粋を読んだだけでは、上記のような感想も可能になってしまうのかもしれない。
しかし3部だけに注目したとき、先生とKの人物像と関係性はどこまで洞察しうるのか。
先生がつくりあげた手紙の中の世界では、誰にも増してKの存在が大きい。Kの死後10数年、Kを中心に、先生の心の世界は回っている。だがKの生前も、その存在は先生にとって、自分自身に匹敵するほど大きかったはずである。互いにないものを持つ両者。「選ばれる」のは、自分でなければKであり、Kでなければ自分だとしか考えられない。すでにKを内在化してしまっているようなものだ。
Kはどうか。思い込み気質のKの恋は激しいかもしれないが、それ以上に、自分に対する先生の評価、というより感情を、Kは最重要視しているようだ。先生に軽蔑されたくない、不愉快な顔をされたくない。様子が気になって部屋をのぞき込むなど、母親に怒られた子どもと同じではないか。Kが自殺をしたのは、先生に出し抜かれお嬢さんを奪われたからではない。愚かしくも自分が、友人の心も知らずに彼を苦しめ、結果、断絶されてしまったと感じたからだ。《もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう》。それは若い信念と友情があったからだ。しかし恋によって信念は消え、その恋も破れ、家族もなく、ただひとりの友も失って、もうよるべない。《たった一人で寂しくって》死ぬよりしかたなかった。
そして先生も10数年経ってKのあとを追う。Kを追うのだ、先生は。寂しくて。
3部だけ深読みすれば、そんな二人の寂しさばかりが見えてくる。高校生の抱える寂しさに、響くか、どうか。
#《 》は、夏目漱石『こゝろ』角川文庫(平成18年改版7版)より。