2010 11/13 10:38
雅 羊々
>>665
耳障りの良いことだけ聞きたいのは弱い人間にはいつでもそうなのです。
例えば東京大学の入試問題が解けないとして
「こんなの解けるわけない。こんなほとんどの人間が解けない問題を作る奴は馬鹿だ」
と受験生がいったら正しく馬鹿にされるでしょうが、ある難解な詩にたいして
「こんなの読めるわけない。こんなほとんどの人間が読めない詩を作る奴は馬鹿だ」
といえば自分が言っていることも分からず恥入ることも無い。
それどころか彼がこう言うとき、碌に見えもしていない大衆を都合よく味方につけたつもりですらいる。
「難しい事柄を簡単に説明できる人が本当に賢い人」とか、「この世の本質は突き詰めれば簡単になる」とか、この手の意見は、要約すれば「世界は自分にとって(理解できる程度に)都合よく出来ているべきだ」ということを言っているわけですが、こんな出来の悪いジョークを、まあ本人は真理を語っているつもりでいる。
だったら人類の持っている言葉のうちで最も簡単な言語は数学で間違いないはずで、どんな高度な数学でも時間さえ掛ければ誰でも理解できるはずですが、実際にそうなっているかといえば勿論そんなことはなく、ごく程度の低い段階ですらポロポロ脱落者がでるのが現実なわけです。
こういう人間に傲慢さと仮の権力を許可したのは、マスメディアという利器を得た資本主義とその支配者層にとって、そういう人間が都合が良かったからに他ならない、と自分は思っていますが、いつの間にか社会自身が自分達が利用するために作った馬鹿に喰われた。
「今、この国が必要としているのは真のエリートだ」
と自分が言ったら、それこそジョークとして鼻で笑われるでしょう。