05/20 11:41
石川和広
sage
あと、なんか何故こういう議論が起きたかってのは、なんかうまく現在の性的な、あるいは力による抑圧に言葉が追い付いてないように危惧はしてます。
それは私はまだまだ非力なんですが、その社会のあるいはグループの個人が誰のせいかは別として、孤立無縁だというのはある。
だから芸術に過大な期待は出来ないけど、自分は一人ぼっちだと感じたとき、書いたり読んだりして凌いだんです。
みなさんもそういうときありましたか?
でも私なら私で他にも詩を書いている人がいると発見するとうれしくなって参加したり集まったりします。
けどロックバンドもそうだけど、嫌なこという奴もいるし、辛い目にも会うし、自分も誰かを傷つけています。
そういうとき、自分もそうですが、心の傷は恐いくらいの力で自分や回りを振り回したんです。
しかしそこで、ただ人を恨んだりするだけではどうしようもなかった。いやまず、自分を傷つけた相手は憎いですが、その痛んでる自分の傷をどう癒すかっていうね。
私の少ない経験では人をいじめたり、嫌がらせする人は単に無自覚な人もいますが、自分の傷が癒えないまま相手に苦しみを与えるケースもあると思ってます。
加害や被害はだからケアとか大事なのはそういうことだと私は感じてます。悪者を倒すですまないのはそういうことです。私自身がセクハラにあったことはあんまなかったとはおもうけども。
しかし、社会に存在する限り様々な他者がいるから、芸術はそれが糧だから、闘いながらもどこかで、相手や作品を尊重するって何なのかは考えていきたいなあと。失敗しながらも。
今回はいろんな人がかなり発言したり関心をもってたので、もうそろそろ自分は日常モードにきりかえようかなあと。