2009 05/24 10:02
石川和広
まあ優等生なんでしょうね。しんどくても我慢して学校行ってしまったので。それ以外学校に行かないという選択肢が思い浮かばなかったというか。
行かないと、どうしていいかわからんみたいな。
だから佐々さんのような道とは別の道になったんです。
ただ、まあ大学で講義を受けると、現実的にご立派でも自分にとってしょうもない先生もいるわけです。権威ではあるけど、教え方や人柄がもうどうしようもない先生が。
あと自分の大学はほとんどの人が勉強が嫌いで。だから授業はうるさくて聞きにくかった。
あと短いスパンで見ると、学校の勉強はイマイチ社会に出て指標にはほとんどなりません。長い目で見ると別なんですけどね。
というのは今回社会福祉士の専門課程に行って、大学卒とか経験年数というのがそこへ進む制度的保障となったから。
だから権威はあんまり当てにならないというか。それよりは、実際うまい飯作ったり接客がうまい店長とかですね。そういうほうがなんか人の美しさを感じることが多かったんです。経験的に。僕はある時期まで、柔らかく人と接することができなかったから。
権威というよりは、自分の糧になって思い出になるなら、まあ汎先生論じゃなくてもいいのでね。でもそういう糧になる経験じゃないと、つまり誰かの人柄や姿勢のまともさに触れるってことが大事だなと僕は思います。
山は完璧じゃないでしょうか。権威という意味でも指標という意味でも何万年単位ですから。宇宙的な権威ですよ。
それとどんなとこでも公開の学者のフォーラムとか、市民講座とか山ほどあるので、もうああいうのは参加料が安かったり、ただだったりします。そっから、気に入った先生のおっかけになるという手もあります。地道な研究をしているいい先生は権威はくれませんが、学究の道にいく手がかりにはなると思いますよ。
実は詩人の高階杞一さんを知ったのも地元の図書館祭りなのでした。それでああこういう世界があるんだなと。最初は権威かと思って、有名先生に手がかりを求めていったので私も俗です。大学出て、もうノイローゼで、仕事も出来ないし、ボロボロだったので。
高階さんはジーンズにボタンシャツのスポーツの得意そうな普通のおじさんでした。ああ、こういう人もいるんだなあと思いました。もっと根暗な感じかと思ってたので。
けっこう高階さんの第一印象は、ラフなというかスポーツ系なのに脱力した感じというか。
それで文学学校の存在を知って。あとで、文学学校の体験入学のクラスで寺西さんらが作品を出していました。その年は金なくて入れなかったので。で、金ためていったら、寺西さんは修了されていて、高階さんももう文学学校の先生は辞めていたんですが。。
sage