2009 05/16 18:36
石川和広
>>583
sage
佐々さんへ
>私はそうした不愉快のもとをたちたいのですが、まだどうしたらいいかわかりません。
私もうまくいえませんが、過去の蘭の会で起こったことというか、そこで佐々さんがお感じになったことを総括されると効果があるかもしれません。
というのは私自身、過去社会福祉の現場で働いた経験の中でうまくいかないことばかりでした。それを私はうまく消化できず苦しんできました。そこで当事者の苛酷な経験を聞いたり自分が苛酷な業務に身を曝すことも経験が足りず、頭でっかちの私にはなかなかしんどいこおでした。世の中には想像できないくらい苦しんでいて、それを私がどうすることもできないケースがたくさんありました。今おなじ病院に通っている友達にもそういう人もたくさんいます。なかなかアドバイスだけでは立ち直れない人は多いです。具体的に何かができうる立場にあっても難しいことも多いです。それは人間の心がそう簡単に動かないように出来ているからで、それは人間の可能性でもあります。しかしそれに私はその当時あまり自覚的でなかった(今でもいくぶんかは)
それを私は人のせいにしたり、また過度に自分のせいにして身動きがとれなくなっていました。今でも身動きが十分取れていないです。
しかし、社会福祉士の試験の勉強をする中で大半は受験勉強なのですが、中にはふだんあまり読まない本も読んだりしまして、自分の経験の未消化な部分を、少しだけ記憶の中に整理することができたようにも感じています。
別に佐々さんに社会福祉士の勉強をせよというわけではありません。しかし人の、あるいは自分の権利を守るというのは正義感や倫理観だけでは出来ない部分もたくさんあります。たくさんの人の協力と、具体的な技術と仕組み、心構えが必要なことを最近痛感しています。
それは自分が精神病で苦しんでいた折に、年金の申請に限らず実に様々な人の助けが必要なことを痛感したからでした。
そして自分が窮状から脱するには、適切に自分がきちんと相談できる人や機関を自分で探さなければならなかったので、実際苦しんでいても自分が変わっていかなあかんなあと思ったのでした。
もちろん今も社会福祉の現場に戻ってませんし、体力的に自分が人の支援をたくさんするのは限界があると思っています。しかし、かつて自分が青臭い正義感や、体力に任せてやっていたことに限界をきたしたとき、それを自分の中で暗い過去として閉じ込めるだけでなく、自分の糧としてあるいは自分の限界を知る材料に変えていくことは出来るんだと思います。
いや、要するに自分も人間不信になりたくなかったのです。いまだ、疑心暗鬼は強いですが。
しかし具体的に例えば虐待の被害であるとか支援する現場の本も読みましたが、もちろん本だけではまずいと思うのですが、支援の仕組みや具体的な方法を知ったり、そこで働いている人の息遣いを知ることで、人助けはなかなか難しいけれど、こういう仕事もなければ困るし、自分も体力や精神面では弱いですが、なにかできることはあるかなあとか、でもそういう責任の重い仕事はできないかなあとも思ったり…なにしろ一回病気してかなりきつかったので自分の心や身体にも限界があることを流石に最近痛感しています。
ええと、脱線が過ぎました。
佐々さん自身がその体験を総括というか自分の中で整理されると、それを今後蘭の会として何ができるかできないかを整理することにもできうるのではないでしょうか。さすれば、それを何かの形で示せば他の方の誤解は避けうると思います。そして、それを例え誤解して難癖をつける人が出てきても、うちはこういう構えでやっていますとか、それはお受けできませんといいうることができます。
それだけでなく、具体的に、私たちのように詩を書いているものにそんなことが可能かどうかを考える材料を佐々さんの肉声を通じてつくれます。後の詩を書く人や、今問題になっていることや問題にしている人への参考にもなると思います。
私はかつて働いていた社会福祉の現場でいいことも悪いこともあり、人助けがかなりはなかなかうまく行かず忸怩たるものはありながら、しかし少し出来たら関の山が現実かと思います。いま働いている多くの方も忸怩たるものを持ちながら働いていると思います。
人の支援に関わる社会福祉の状況は今の社会が世知辛いこともあり困難です。専門家でもそうなんだと思います。
だからといって、そこで、自分が病気になったときにたくさんの支援職に世話になったのでそういう助かる面もあるわけです。
だから、人に関わる、助けるということは大変なことですが皆さんの中にも、そういう正義感はあり、その正義感は苛酷な現実の中である部分は死にますが、ある部分生き延びさせて欲しいと私はそう願っています。
私は支援や社会福祉のことを通じてそれを考えることになりましたが、日常の中で自分が他人に何をできるかできないかしなくてよいか、したほうがよいか、自分はどうするかみなさん毎日日々暮らしの中で考えておられると思います。
だからこれはきっと特別なこと、社会福祉や医療だけが考えることではないのです。
しかし人に対して何かしたいと願う時、自分の心や、身体、そして具体的な世の中の仕組み福祉やNPOや社会制度を使うのだと思う。だから人にかかわるときどうしたらいいかを考えることがまずは原点ですが、次にどうするかが社会的な場面ででてくるというかんじと思います。
それは私自身が何よりも中途半端な人間で、今も悩んでいる途中の人間だからです。
また現実にできること、できないことをしることは、文学に何ができるかできないかを考えるときに助けにもなると思います。それを現実感覚といえばいいか。現実が無ければ非現実や物語もありませんから。
お節介になりましたが、以上です。たぶん参考になりませんが参考になればうれしいですし、なによりこう話せたことで少し落ち着きました。今思えば上に書いたような個人的な心のトゲが議論に参加している理由のひとつだったようにも思います。失礼しました。