論戦スレ。[460]
2009 04/16 01:23
北村 守通

 議論とは、イデオロギーの対立による罵声の交換の場ではなく、イデオロギーの相違から歩み寄る具体的なモノ創りの為の調整作業だと思っております。

 その点を踏まえて>>458の白井さんから引用された指摘に対して私なりの考えを述べてみたいと思います。

>・このサイト内で、いじめやセクハラがあり、対処の必要があるという指摘
>・被害をこうむった女性を救済する必要があるという指摘
>・加害者が野放しになっているという指摘

 以前、私は散文コーナーの中にて、私達会員のスタンスを『オーナー片野氏が運営している集合住宅の中で生活している一員』という表現を用いさせて頂きました。このモデルで考えてみますと、
 
?犯罪行為を行ったとして有罪の判決を受けたものが、家賃などをしっかりと支払っている状態の下でオーナーから立ち退きなどの干渉を受けることは果たして適当な行為と言えるでしょうか?
?嫌がらせ、等々といった迷惑行為を同じ集合住宅の住民から、宅地内で受けたとしたとき、それが収まらないからといって、その責はオーナーである片野さんが受けるべきなのでしょうか?勿論、苦情という形で受け付けたときには調停のためにオーナーが動かれる、ということはありますけれども、そこで解決できない、ということも確かにあって、そしてそれだからといってオーナーの責が問われるといったことはないかと思います。
?集合住宅内でカウンセリング等の場を開くことはオーナーと契約が成立すれば可能でしょうが、それが設置されていないからといってその責をオーナーに問うことができるでしょうか。
?同じ宅地内の住民の中にたまたま同じ職場や学校の人間がいたとして、その人間に職場や学校という宅地外にて迷惑行為を受けるようなことになったとして、その責はオーナーが問われるのでしょうか。
 
答えはいずれも否、だと思います。勿論、単純に集合住宅での生活とネットの社会とを比較することはできないかとは思いますし、違っているところもあるのかもしれません。更に、オーナーは『これこれこういうことをすると当集合住宅内での生活に制限を設ける』というルールブックをしっかりと見やすい場所に表示している。オーナーとしての責務はもう充分に果たされている、と私は思います。

 ではそれ以上の範囲のトラブルについてはどの様に解決すればよいのか?その最低限の方法は日本国の法ですし、それを取り扱う機関であると思います。(警察、弁護士事務所、裁判所といった)
 最近ではそうした法を取り扱う機関に対して橋渡しをしてくれる民間団体も確かにありますね。しかし、それはオーナーが設置しなくてはいけないものではなくて、第三者として存在する(原則として第三者故により公正な判断になる)団体です。そうした団体を住民の自主活動として展開することは可能でしょうし、自主活動に関してはそれが他の住民の活動などに支障をきたさない限りオーナーが干渉する、ということもないかと思います。
ただその際に、集合住宅の掲示板に『何号室の○○は犯罪者だ、追い出そう』だなんてやったりしたらそれはオーナーからストップかかりますよね。

結局のところ、そういうことだと私は思うのですよ。
そして、現代詩フォーラム内で起こる迷惑行為ならば、それだからこそ現代詩フォーラムという存在を離れた第三者的な立場の機関に相談することの方が良いのではないか、とも思えるのです。
じゃぁ、私達は無力なのか?無力です。無力ですけれどもやれることはある。しかし、その自分自身の力を過信してはいけない。少なくとも全てを一つの土俵の上で取り扱い、より多くのことにいっぺんに手をつけようとしたら、それは悲劇的なものしか待っていない。
まず、様々な土俵の個を分別してみて、それを一つ一つ考えてみるしかない。108つの問題の内、一年で一個向上した。十年経てば十個向上するかもしれない。いや、ひとつが向上することで芋づる式にもっと向上するかもしれない。ヒントが見つかるかもしれない。改良というものは長い年月をかけて初めてその効果がわかるものですし、また急展開させようとするとむしろ思ってもいなかった悪い結果が待ち受けていたりもする。だからこそゆっくりと、色々と試してみないといけないのではないかな、と思います。

具体的な話、としておいて観念論で終わってしまって本当に申し訳ございませんが、もしよろしければ白井さんなりが考えていらっしゃる具体的な青写真を教えて頂ければ、とは思います。
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