批評しましょ[551]
2005 12/09 18:37
田代深子

>550 fukaさん
いま現在卒論ととっくみ中でして
ちょっと急ぎ足のお返事になってしまうのをお許しください
しかしその卒論で まさに文体における音韻のことを考えております

わたし自身が詩を書くにあたり
七五調的な音韻にまかせるもの=物語重視
音韻を意図的に排するもの=心象・印象重視
といった使い分けがあることに思い当たりました
そしてこれはおそらく わたし固有の使い分けではないのではないか
という気がしています

伝統的なものに限らず音韻・リズムというのは身体に快適で
これがあることにより人は苦痛を感じることなく
長い物語も聞く(読む)ことが可能です
「語り、聞く」という物語の原点には音楽的な要素がつきものですが
語る者と聞く者を融和させるのは
「物語」そのものの快楽と「音」の快楽がともに働くことによって
有効になされるのでしょう
これは なくなることのない
いくらでも素晴らしい作品の生まれうる 豊かな文学形態です

しかし「抽象」に足を踏み入れた〈現代詩〉は
(これが吉本の言うところの現代詩だと思いますが)
文字と言語の可能性/不可能性にこだわることになります
文字は視覚媒体ですが わたしたちはまず音を想起している
単語もそうです おまけに意味や既成概念が幾重にもつきまといます
〈現代詩〉は そのことを拒否するのではなく
意識的に創作の中で扱う表現形態なのではないでしょうか
自分自身がまず身につけている日常的な言語感覚や
すでに血肉となっている「思考としての言語」をも
一度はつきはなし構築しなおし 違う可能性を見いだしていけたら
いいなぁ(笑) というような

いずれの方法も いくらでも高めていくことが可能だと思います
そして こうしたジャンル分けを無化するような作品もあるかもしれません

でもじつは「散乱」……自分で朗読するにあたっては
(ご存じの方も多いですが)ふつうの読み方にしてしまうのです(^^;
詩と音というのは 小説と音よりも密接な関係にあるようです
そのかわり小説は物語と密接に関わっている…
興味と可能性はつきませんね

さてさて 卒論にもどります
終わったら詩が書きたいですよ〜
スレッドへ