08/09 14:42
一番絞り
石川和広さん
>同じ穴の狢なので、平行線をたどるの当たり前だよ。対話不成立!
ぼくはこういう断定がよくわからんのですよ。
あなたとだれとの間の対話が不成立なんですか?
他人のあいだに対話が成立しているかどうか、そんなことを第三者が断定するのは
余計なことじゃないでしょうか。
というのは、じつはわたしは※さんと山田さんの間には、なごやかな対話はそりゃ無いけど
底流には関係修復を求めて対話を交わしているのだなと思えるところがあるのです。
確かに、山田さんは「つばをかけてやる」と※さんに発言し、※さんはそれに対して当然の
感情的反応を返した。
しかし、もしもほんとうに山田さんが※さんを相手にしたくないのなら、詩の批評をしたりしない。
それも※さんにとって一番程度の悪い詩をわざわざ選んで批評するというのは、逆に言えば
相手の感情を逆撫でして関心を向けさせる所業でしょう。関心があるのですよ。
また※さんも、もう山田さんに関心がないのならいちはやくその批評に反応はしたりしない。
そこには底流になんらかの修復を求める動きがあったのだと思う。
だから、なんだかんだといいながら、わたしは両者のやりとりを微笑ましく眺めていた。
対話というのはなあなあムードで、予定調和的になごやかに進むものばかりが対話とは限らない。
現にわたしは山田の大根斬りでしつこくボルカさんらに、からまれている。
わたしもそれなりに、からみ返している。
傍目から見ればなんて低劣なやり取りをしているんだろう、と見えるだろう。
しかし、わたしは内心、考えている。
ボルカさんはわたしをクソみそに言いながら、どうしてこうもしつこく関わってくるのだろうか? と。
そこで、じつはかれがわたしにとても関心をもっていることがわかる。
おそらくかれは憎しみと同じくらいにわたしに一種の愛情を抱いているのだろう。
それがわかるから、わたしもそれなりに対応している。これは決して「対話不成立」ではないと思っているからですよ。
対話なんてのはそんな奇麗事ばかりでは済まない事もある。
もしも、和やかムードの対話ばかりが要求されるのだとすれば、そこにはうそが混じることになるだろうと
思う。
話は変わるが、私憤としての批評があるのなら、私憤としての詩作ってのもあるだろう。
一度、そういう詩を書いてみようと思っている。